子どもたちは、内戦による負傷を“名誉の勲章”だと思っていた
アサド政権の無差別空爆で手足を失ったムスタファ君。手術が順調に終わり、支援でもらった義手と義足を見せる(2014年7月)
アパートでは、徴兵されるのを恐れて先に逃げてきていた19歳のお兄さんがムスタファ君の面倒を見ていた。彼は携帯電話を取り出して、ムスタファ君が被弾直後にベッドで横たわっている動画を筆者に見せようとした。
「本人の前で見せるのは良くないのではないか」と私は制止しようとしたが、ムスタファ君自身が「大丈夫。平気だよ」と言った。どうやら見てほしいらしい。
ベッドの上のムスタファ君の右腕は、皮一枚でぶら下がっていた。付き添いの若者がそれをねじり取ろうとしたときにムスタファ君の意識が戻り、「ああー」とうめくところを映していた。
ムスタファ君は、微笑みながら接してくれる。
「どうしてそんなに明るく振る舞えるのかな」と聞くと、
「当たり前のことだよ。ここではみんな同じように怪我しているんだから、大したことないよ」と言う。
自由と民主主義の革命のために戦っている戦闘員への憧れもあり、彼らにとって怪我をするということは、勲章のようなものであるのかもしれなかった。
「名前を書いて」とお願いすると、彼はためらっていた。利き腕をもぎ取られたからなのかと筆者は思ったが、実は
「しばらく学校に行ってないから、忘れちゃった」と言う。将来の夢を聞くと
「ともかく早く勉強したい」と言っていた。
「この子たちの未来を支えたい」と思った。今は怪我することが“名誉の勲章”であっても、時がたてば障害を持った彼らが社会に参加するのは難しくなる。ヨルダン人にとってシリア難民は、最初こそ同情の対象でも、そのうちお荷物になるに決まっている。
それから約5年の間に、シリア人支援施設はヨルダン政府につぶされていった
JIM-NETは、イマッドさんのボロ車で、患者を病院に連れて行ったり病院から患者を連れ出したりする活動を支援した。アコモデーションセンターやリハビリセンターのサポートなども続けてきたが、約5年の間でシリア人が作ったこうしたセンターの多くは「違法」だとして、ヨルダン政府につぶされていった。外国のNGOがシリア難民の支援をしたいのであれば、同数のヨルダン人の支援もするように、というルールが作られた。
2015年には、大量の難民が非合法に欧州や北米を目指して移住した。シリア難民支援の中心的な役割を担っていた、医師や弁護士といったシリア人のエリートは、いつの間にかいなくなってしまった。戦争で障害を負ったシリア難民を優先的に受け入れる国も出てきた。
イマッドさんもダラーの家は完全に破壊されてしまったので、戻るところもなく2017年にアメリカに移住した。シリア内戦が終結に近づいた今、ヨルダンのシリア難民たちは厳しい状況におかれている。