眼の前の「モノ」を大切にするところから、社会は変えられる

「経済効果」の名のもとに、押しつけられる負担

使用済み段ボール

使用済みダンボールに絵を描いてもらった(井上ヤスミチ作)

 東京オリンピックだ、大阪万博だ、と騒ぐが、それも使い捨てだ。それを名目に、巨額を投じて無駄なモノを作る。たいてい、その後に赤字になる。借金や維持費で自治体や住民に大きな負担が残る。使い道は限られ、無駄になる。  その過ち、散々と繰り返してきているではないか。新国立競技場の建設のために、使えるのに壊された旧国立競技場や周辺の建物。新たに作るための木材調達で、マレーシアのサラワクの森の木々が乱伐され、森を糧として生きる現地の人々が困惑し、反対している。温暖化の危機の中で、森をなぜ切るのか。  経済効果、などというお題目に騙されてはいけない。その一瞬だけ一時期だけを切り取れば効果があるだろうが、そのお金が住民や地域に還元されるわけでもなく、資本家や大企業やコンサルティングに吸い取られるだけだ。  その後の後始末のマイナスは考慮されていない。経済効果とは目に見えない効果と裏腹で、目に見えるモノは使い捨てになることが前提なわけだ。

モノは大切にすればするほど、ヒトに報いてくれる

スピーカー

15歳の時に貯めていたお年玉で買ったBOSEのスピーカーは、「たまTSUKI」に上質な音を提供してくれた

 人口減少と環境の時代において、新たに生み出すものは大切に長く使い、循環させる。今あるものは大切に維持メンテナンスし、ニーズが小さくなれば減築する。必要なくなるものや壊すものも小さくしてリユースする。 「常に新しいものを!」なんて考えなくても、そうした技術や経験で充分に経済は回るし、それは地域の中小事業が担えるし、ブルーオーシャンで次の時代の世界市場を先導できる。人々は今より安心で豊かになり、人類が生き延びてゆける。 「経済成長の名のもとで新しいものは常に古くなり、モノもヒトも役割がなくなれば使い捨てされる」という宿命は逆転する。経済成熟の名のもとで「古いものが常にリニューアルで生まれ変わる」という価値観になり、なんでも誰でも大切にされる社会になる。どっちが豊かだと思う?  韓国やニュージーランドは2018年、レジ袋の禁止を発表した。欧州議会では、使い捨てプラスチック禁止法案が可決された。すでに規制を導入済みの国・地域が、少なくとも67に上るとの調査結果を国連環境計画(UNEP)が出している。アメリカ、インド、エチオピア、オーストラリア、モロッコ、タスマニア、フランス……そうした国々の各自治体で取り組みが始まっている。
スピーカーは家に

BOSEのスピーカーは閉業後、我が部屋に。アンプは15年前に買った中古品で2000円のもの。掛かっているバッグもフェアトレードのもので、13年使っている

 1人当たりのプラスチックゴミの排出量が世界で2番目に多い日本。政府は「プラスチック資源循環戦略」を打ち出したものの、経済界に配慮した及び腰で実効性が疑わしい。そんな中、京都の亀岡市で「レジ袋禁止」条例が制定されるという朗報が入った(紙袋OKなのが気になるが)。  俺らから、小さな地域から、世界は変えられる。コンビニで袋を断わろう。電気をこまめに消そう。今使っているモノたちやそばにあるモノたちを大切にし、愛着を持ち、感謝し、壊れてもメンテナンスや修復を施し、長く長く使おう。  最後は、必要な人に差し上げたり、リユースしたり、できるだけ世の中に役だつように配慮してサヨナラしよう。やってみればわかる。その方が経済的にも良いと肌感覚で納得する。何より、大切にすればするほど、モノたちも魂をもってアナタに喜びと豊さを贈ってくれるはずだから。 【たまTSUKI物語 第12回】 <文/髙坂勝> 1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に『次の時代を、先に生きる~まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など
30歳で脱サラ。国内国外をさすらったのち、池袋の片隅で1人営むOrganic Bar「たまにはTSUKIでも眺めましょ」(通称:たまTSUKI) を週4営業、世間からは「退職者量産Bar」と呼ばれる。休みの日には千葉県匝瑳市で NPO「SOSA PROJECT」を創設して米作りや移住斡旋など地域おこしに取り組む。Barはオリンピックを前に15年目に「卒」業。現在は匝瑳市から「ナリワイ」「半農半X」「脱会社・脱消費・脱東京」「脱・経済成長」をテーマに活動する。(株)Re代表、関東学院経済学部非常勤講師、著書に『次の時代を先に生きる』『減速して自由に生きる』(ともにちくま文庫)など。
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