全てを捨てた末に行き着いた、車中暮らし僧侶のミニマルライフ

車暮らしの僧侶

《車暮らしの僧侶》車にはベッドやデスクも完備。仕事道具や着替えも整然と収納されている。太陽光発電のパネルもあり、パソコンや冷蔵庫も使い放題。何不自由ない”住居”だ

 ’19年10月の消費税増税は、新たな下流社会の幕明け―。賃金が一向に上がらないままでの増税は、消費が確実に低迷し、企業の収益や税収が悪化、賃金はより下降して、本格的な“デフレ”の再来が懸念されている。さらに外国人受け入れ問題、急速に活用が進むAI(人工知能)など、誰もが当事者たり得る“下流転落の火種”が忍び寄る。僕らの未来にあるのは希望か絶望か。

下流僧侶が行き着いたのは“車暮らし”

「“坊主丸儲け”という言葉はありますが、それは一部の裕福な寺院の長男だけ。それ以外の者は、ほかの寺の養子か、社員として寺に勤めるか、最近では僧侶の派遣会社に所属することも多い。僕も手取りは20万円行けばという現状でした」  と語るのは、『社会不適合僧侶の究極ミニマル生活 くるま暮らし。』(飛鳥新社)を上梓した高野山真言宗の僧侶・静慈彰氏。そう、同氏は下流化から辿り着いたのは、“車暮らし”だった。 「きっかけは知人がニュージーランドで車中生活をしているのを見たこと。“自由そうだな”と憧れからマネすることに。中古の日産キャラバンを30万円で買い、自分で改造しながら寝床を整えました」  あるのは車1台に、身ひとつ。そこにあったのは、“究極の自由”だったと話す。 「僧侶として働くのは週2日程度で、あとは好きな場所に行き、あるときは海辺に滞在して1週間サーフィンを楽しむこともあります。時々、孤独という怪物に襲われることもある。例えば朝焼けのキレイな海を眺めて、一緒に感動に浸れる人がいないのは寂しい。でも、人に会うことで寂しさは紛れるけど、そこにはわずらわしさや他人との考えのズレも生じます。お金もかかるし、気苦労もあります。孤独には瞑想して自分と向き合い、答えを出します」  そんな気ままな車中泊生活も、もう2年が経過。時折、「世間とのズレを実感」することもあるというが、静氏は前向きだ。
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下流社会では全部捨てたら幸福を呼ぶのかも
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