──1954年12月に鳩山一郎政権が誕生し、それまでの吉田茂政権の対米一辺倒路線を転換して、中ソとの関係改善に動き始めました。
菅沼:ソ連のモロトフ外相が対日関係を正常化する用意があると発言したのは、その直前9月のことです。それを受けて、日本でも対ソ関係改善の動きが出てきました。
日本としても、シベリアに抑留された元兵士たちの帰還のために、ソ連との関係正常化が求められていました。また、主権回復後、日本は北洋漁業を再開しましたが、漁業問題と領土問題をリンクさせるソ連の圧力に悩まされていました。
こうした中で、1956年5月に河野一郎農相とソ連のブルガーニン首相との間で、日ソ漁業協定交渉が開始されることになりました。また、これに引き続きロンドンで日ソ国交回復のための予備交渉も始まりました。その席で、ソ連側は河野農相が「南千島はソ連の領土」と発言したと暴露するというようなエピソードもありました。
いずれにせよ、鳩山政権は同年10月に
日ソ共同宣言の署名に漕ぎ着けました。共同宣言には、「ソ連は歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と謳われました。
日ソの交渉において、日本側は、歯舞、色丹の二島返還で決着するという当初の路線を転換し、
国後島と択捉島を含む「四島返還」での継続協議を要求していたのです。
その背景にも、
アメリカの介入があったのです。ダレス国務長官が重光葵外相に対し、「択捉島、国後島のソ連領有が認められれば、沖縄は永久に返還しない」と脅してきたのです。いわゆる「ダレスの恫喝」です。以後、日本の外務省は、アメリカの意向を忖度して、「四島一括返還」を主張するようになったのです。
1989年に米ソ冷戦が終結し、1991年にはソ連が崩壊しました。その結果、ロシアは経済低迷に苦しみ、日本の支援を必要とするようになりました。日本側も、1991年10月以降、「四島一括返還」から、「四島の帰属の問題を解決し平和条約を締結する」との主張に転換しました。
そして、1998年4月には、橋本龍太郎総理とエリツィン大統領が静岡県・川奈で会談し、領土問題は解決へ進みかけました。しかし、結局合意には到りませんでした。その後、プーチン大統領の登場によって、ロシアの姿勢は強硬になりましたが、それでも2001年に森喜朗首相が二島先行返還を提案すると、1956年の日ソ共同宣言の有効性を確認するなど、プーチン大統領も前向きな姿勢を示しました。しかし、森政権が倒れ、続く小泉純一郎政権は、再び「四島一括返還」路線へ戻りました。この時も、小泉政権に対する
アメリカの圧力があった可能性があります。
──現在の日露交渉をどう見ていますか。
菅沼:大きな方針転換です。安倍政権は、歯舞群島、色丹島の二島返還と、国後、択捉両島での共同経済活動などを組み合わせた「
二島返還+α」で決着をつけようとしているようです。安倍総理は、2019年1月にロシアを訪問して日露平和条約に大枠合意し、2019年6月の大阪G20サミットに合わせて、署名することを目指しているとも言われています。
元島民の高齢化も進んでおり、北洋漁業の問題もあり、何とか早く決着がつくことを望んでいる人たちがいることは理解できます。しかし、日露交渉に前のめりになることは非常に危険です。外交的な成果を自負してきた安倍総理としては、任期中に歴代政権ができなかった日露平和条約締結を実現し、歴史に名を残したいと考えているのでしょう。しかし、
限られた時間の中で成果を上げようと焦れば、必ず相手に足元を見られ、付け込まれてしまいます。
しかも、現在の日露交渉は、「四島一括返還」を主張してきた外務省主流派が外され、日露共同経済活動を重視する経産省主導で進められています。経済的利益を追求するあまり、国家にとって最も重要な領土、主権の問題が疎かになるとすれば、大きな禍根を残すことになりかねません。