北方領土返還交渉、拙速な交渉はすべてを失う<菅沼光弘氏>
月刊日本1月号では、「激論 北方領土問題」と題して、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏や京都産業大学世界問題研究所所長の東郷和彦氏らさまざまな立場に話を聞いている。
今回はその中から、元公安調査庁第二部長である菅沼光弘氏へのインタビューを紹介したい。
──2018年11月の日露首脳会談で、「1956年の日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる」ことが決まりました。現在の日露交渉をトランプ政権はどう見ているのでしょうか。
菅沼光弘氏(以下、菅沼):最近の日露関係の動きについて、トランプ政権は第三国の問題として表面的には沈黙を守っています。しかし、今後の動向は要注意です。
そもそも北方領土問題は、米ソ冷戦の時代に日ソの関係緊密化を阻止するというアメリカの思惑によって生まれたものです。
ロシアが北方領土の領有権を主張する根拠の基点は、ヤルタ秘密協定にあります。第二次世界大戦末期の1945年2月、アメリカのルーズベルト大統領はクリミア半島のヤルタでソ連のスターリン首相、イギリスのチャーチル首相と会談し、密約を交わしたのです。
ルーズベルト大統領は、戦争を早期に終結されるために、ソ連に対日参戦してもらう必要がありました。そのため、ルーズベルト大統領はスターリン首相に対して、ソ連参戦の条件として、千島列島のソ連への引き渡しと南樺太の返還を認めることを約束してしまったのです。ソ連はこの密約を根拠に、日ソ中立条約を破棄し、南樺太や千島列島に侵攻し、本来日本固有の領土である北方四島も占領したのです。
1951年には、サンフランシスコ平和条約が締結され、日本は主権を回復しました。しかし日本は、千島列島と、1905年のポーツマス条約で獲得した樺太の一部、これに近接する諸島に対するすべての権利、権原、請求権を放棄しました。こうしてソ連は、ヤルタ密約とサンフランシスコ平和条約を根拠にして、北方領土に対する領有権を主張してきたのです。
サンフランシスコ平和条約の草案を用意したのは、アメリカのジョン・フォスター・ダレス国務長官とイギリスのモリソン外務大臣です。両国は共産主義の脅威を抑止することで一致していました。すでに当時、米ソ冷戦が開始されており、ダレスは、日本を東アジアにおける反共の砦としようとしていました。日本が、ソ連の陣営に加わることを絶対に阻止するのが、アメリカの戦略でした。したがって、ダレスは日ソ間の対立が続くように、二つの罠を仕組んだのです。
一つは、千島列島の範囲を定義しなかったことです。もう一つは、日本が放棄した樺太、千島列島を誰に返還するかを明確にしなかったことです。
日本は樺太、千島列島とともに、台湾、澎湖諸島をも放棄しましたが、それらも誰に引き渡すのかを明確にしませんでした。これが今日の「二つの中国」を生んだのです。
ソ連は会議には参加しましたが、サンフランシスコ平和条約には調印していません。そのため、ソ連は1956年の日ソ共同宣言によって、国交が回復するまで、日本における外交活動が著しく制約されました。
北方領土交渉が急速に進んでいる。しかし、現在の状況では、日本に返還される可能性があるのは、良くても歯舞・色丹の2島のみである。それに、この2島ですら懸念がある。ロシアは再三にわたり、歯舞・積丹に米軍基地が作られる限り日本に領土を変換しないと伝えてきている。
アメリカが仕組んだ北方領土問題
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