どの質問をしても何一つ真実を答えなかった債務者。その職業は……
仏教における世界観では、嘘つきは大罪であり八大地獄の大叫喚地獄に落とされ、6800兆年以上の間、苦しみを味わうことになるという。
キリスト教においても宗派で見解は異なるものの、嘘や偽証は重大な罪とされ、正義や愛の徳を甚だしく損なう場合の嘘は「大罪」にもなり得るとの解釈。このような罪人は地獄に落とされ神の怒りに服することになる。
イスラム教においても嘘を付くこと、虚偽を語ることは逸脱にあたり、「火獄」落ちに相当する罪であるという。
また、故・唯一神又吉イエス氏も、嘘政治や嘘政党は唯一神又吉イエスが地獄の火の中に投げ込むものであると生前に語っている。
とにかく嘘はいけないらしい。
とは言え、一部心理学者の研究結果では男女に関わらず、現代人の行う10分以上継続する会話の中には30%程度の嘘が紛れていることも明らかにされるなど、「嘘」は我々の社会生活に必要不可欠な会話のエッセンスともなっていることが伺える。
30%程度の嘘であれば許容範囲内と言えるのかもしれないが、これらを大きく上回る嘘が我々を困惑させる事例もあった――。
地方都市ながらも駅徒歩3分という好立地。しかもビル一棟丸ごと差し押さえという案件だった。
1~2階が貸店舗、3~4階が賃貸物件といういわゆる収益物件。立地的にも広さ的にも申し分はないのだが、40年超えという築年数の経過以上にノーメンテナンスのまま騙し騙し貸出が続けられてきたという状況が響いていた。
全体的に痛みが激しく、鉄筋コンクリート造であるにもかかわらず、どこからとも言い難い雨漏り。前賃借人への貸出終了からクリーニングも入れずに次の賃借人へと格安で貸し出されていたという汚れ、管理自体がなされていないことから共用部分に溜まったゴミ。
これらが客離れを招いており、空室率は70%近いものとなっていた。
大きさや状態の悪さだけでも執行は困難なものとなるのだが、これに輪をかけて大変な思いをさせられたのが債務者の「嘘」だ。
「賃貸契約の書類はありますか?」
「ない」
だが結局、見つかる。
「間取りや図面はありますか?」
「ない」
すぐ見つかる。
「室内に不具合はありますか?」
「ない」
ボヤ騒ぎの痕跡がそのまま放置されている。
当初は極度のめんどくさがり屋で適当な返事をしているだけなのかと思っていたのだが、どうもそれだけでは割り切れない部分もあった。
「これは左側の部屋の図面になりますか?」
「いや、右だ」
左側と判明。
「こちらは上のフロアの書類であってますよね?」
「違う。下だ」
やっぱり上のフロアのものであることがわかる。
とにかくちょっとした質問であろうが世間話であろうが、
全て真逆のことを言う。