武装僧侶が戦国武将を動かしていた!?「本願寺文書」から読み解く家康の野望とは?

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東本願寺 photo by Resto1578 via Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

 浄土真宗は鎌倉時代の僧侶・親鸞聖人を開祖とした宗教だが、東西に分裂しておよそ400年が経過した。京都駅近くの烏丸通と堀川通に面して、東本願寺と西本願寺の二つの巨大な伽藍がそびえたっている。  しかし、歴史・宗教学者たちはなぜ本願寺が東西に分裂したのかについて疑問を持つことも、これをキチンと解明しようとすることもしてこなかった。  もちろん通説はある。巨大な本願寺教団の勢力を恐れて、徳川幕府が強制的に東と西に分裂させたというものだ。  だがこれははたして本当だろうか。この通説に疑問を持ち、正面から新事実を解明しようとしたのが、日本歴史宗教研究所所長の武田鏡村氏である。著書『本願寺はなぜ東西に分裂したのか』の中で、本願寺がいかに成立し、どのように力を持って行ったのかを、克明に追跡している。  その中で分かってきたのが、歴史の表舞台に立った戦国大名との関係である。天下取りをほとんど目前にしていた織田信長、そして天下を統一した豊臣秀吉、江戸幕府を樹立した徳川家康と、三人の天下人に対して本願寺は非常に大きな影響力を持ち、時代を動かす大きな原動力になっていたのだ。
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三人の天下人と本願寺
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本願寺はなぜ東西に分裂したのか

戦国武将とその時代を動かしていたのは、
浄土真宗の僧侶たちだった!?
大谷派VS.本願寺派 東西分裂の真相を探る!