肱川大水害は、愛媛県と国土交通省の60年に及ぶダム偏重治水事業「肱川方式」の失敗が招いた災害
前回、前々回で報じたように、現地の様子をこの目で見ることで、肱川の大水害は紛れもなくダム最優先の治水行政による行政資源の配分の失敗の産物だということが明らかになってきました。
今回はさらに肱川大水害の河口の様子に迫ってみます。
大洲市五郎を後にして、長浜まで肱川右岸の県道で河口の長浜に向かいました。
大洲盆地から離れるごとに平地はなくなり、肱川は再び谷あいを流れ、河口に小さな平野を形成して海に出ます。この平野に長浜地区が広がります。
大洲市から肱川右岸を河口に走ると、すぐにあちこちで堤防の工事を行っていました。工事の内容は、堤防の増厚、暫定堤防のかさ上げ、無堤区間への堤防の建設などで、大洲市五郎から長浜までの間、堤防がまともに機能している区間はありませんでした。
国交省発表の資料を再掲しますが、大洲市五郎から河口の長浜までの間では、暫定堤防、無堤区間全てで肱川は氾濫し、長浜地区市街地を除く全ての地域で1~5mの大規模浸水を起こしていました。一見、完成堤防があっても必ず無堤区間や暫定堤防が存在し、そこから水が溢れ、堤防は全く効果がありませんでした。(参照:第1回 野村ダム・鹿野川ダムの操作に関わる情報提供等に関する検証等の場 平成30年7月19日 四国地方整備局、肱川(国管理区間)浸水エリア図の公表 平成30年8月10日大洲河川国道事務所(国土交通省))
2018年7月7日、未曾有の豪雨によって大きな被害が生じた愛媛県の肱川(ひじかわ)水系における現在の被害状況をお伝えしています。
全く治水効果のなかった河口までの肱川右岸
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