肱川大水害は、愛媛県と国土交通省の60年に及ぶダム偏重治水事業「肱川方式」の失敗が招いた災害

野村ダム下流ほぼ全区間で治水が機能しなかった肱川方式

 ここまで7回に渡って野村ダムから肱川河口の長浜まで肱川両岸を丹念に取材し、報告してきました。  肱川は総延長103kmですが、野村ダム下流は河口まで約60kmです。そしてその間、水害被害を受けていなかったのは、鹿野川ダム湖と西大洲の一部と東大洲の一部、そして、長浜河口地区のわずか1kmほどでした。ほかは、幸運にも僅かに高台であった、ごく一部の、数えるほどの地区を除き、1~6mの浸水に見舞われていました。  特筆すべき事は、古い集落であっても大浸水被害を免れておらず、昭和20年の大水害と何も変わらなかったという証言が複数得られました。肱川治水事業は、昭和18年、昭和20年水害を基準に行われてきており、結局、近代的治水事業が始まって60年を超えるものの、野村ダムより下流の全流域で治水事業は目的を達成していませんでした。今回の大洲地点での最大流量は、昭和18年、昭和20年水害をやや下回っているものの、浸水規模はそれらに匹敵していることからも、肱川における近代的治水事業は完全に失敗であったと言う他ありません。  これが、愛媛県と国土交通省が肱川方式と呼んだ極めて独特なダム偏重治水事業60年の結果です。  さて、ここで疑問に思うのは、野村ダムより上流の肱川源流から上流がどうであったかです。ダムのない支流の黒瀬川は、大きな氾濫を起こしておらず、特に低かった古い橋が破損するなどの被害を認めたものの、被害の殆どは土砂災害によるものでした。  野村ダム下流から大川地区辺りまでも住民は山からの泥流、土砂災害に警戒していましたが、実際には反対側の川が一挙にあふれて不意を突かれていました。では野村ダム上流の肱川本流はどうであったのか、次回は予定を変更して肱川源流から野村ダムまでの報告を行います。 『コロラド博士の「私はこの分野は専門外なのですが」』第3シリーズ水害編-7 <取材・文・撮影/牧田寛 Twitter ID:@BB45_Colorado> まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題についてのメルマガを近日配信開始予定
Twitter ID:@BB45_Colorado まきた ひろし●著述家・工学博士。徳島大学助手を経て高知工科大学助教、元コロラド大学コロラドスプリングス校客員教授。勤務先大学との関係が著しく悪化し心身を痛めた後解雇。1年半の沈黙の後著述家として再起。本来の専門は、分子反応論、錯体化学、鉱物化学、ワイドギャップ半導体だが、原子力及び核、軍事については、独自に調査・取材を進めてきた。原発問題について、そして2020年4月からは新型コロナウィルス・パンデミックについてのメルマガ「コロラド博士メルマガ(定期便)」好評配信中
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