肱川大水害は、愛媛県と国土交通省の60年に及ぶダム偏重治水事業「肱川方式」の失敗が招いた災害

堤防が完成していた河口地区は穏やかだったが……

肱川河口左岸

肱川河口左岸から川上を望む 2018/11/2撮影

 河口の長浜では、僅かな区間ですが、左右両岸ともに完成堤防が完備されており、野村からここまでの惨状と全く異なり穏やかな町並みが広がりました。ほんの僅かの猫の額のような河口平野ですが、水害のあとは見られず、本来あるべき姿を見せていました。
肱川河口左岸

肱川河口左岸より伊予灘を望む 2018/11/2撮影

 鹿野川ダムが完成して60年経過しますが、野村ダムより下流の肱川で近代的治水が完結しているのは、この長浜河口地区のわずか一キロ未満の区間でしかありませんでした。  肱川河口から大洲市五郎地区へ肱川左岸を遡上しますと、河口から800mほどで左岸完成堤防はなくなり、無堤区間と暫定堤防が現れました。この左岸堤防工事と土砂災害のために、肱川左岸の県道は夜間通行止めとなっています。
県道43号線惣瀬地区

土砂災害復旧工事中の県道43号線惣瀬地区下流側 2018/11/12撮影

 肱川左岸にもおびただしい数の無堤区間や暫定堤防が存在しており、さらに水門の不備からか、数少ない完成堤防区間でも氾濫が生じ、大洲市五郎までの間、事実上、無事な地区は存在しませんでした。  肱川河口は、古い集落が多いのですが、その古い集落であっても無治水河川に面していては、多くの集落が今回の水害被害をまぬがれていませんでした。
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60年に及ぶ「肱川方式」の結果が大水害
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