アジアを狙う東急のまちづくり戦略。「田園都市」がまるごと輸出で東急バスも

約40年近くに及ぶタイと東急の「縁」

 さて、それでは東急グループがこれほどタイ、そして東南アジアに力を入れるのは何故であろうか。  高度成長期からバブル期にかけては、多くの日系デベロッパーが東南アジアへと進出していった。しかし、その多くが、現地でのホテル・リゾート開発や、観光客向け・もしくは現地で働く日本人向けの商業施設・飲食店の運営などだった。そうしたものは、バブル崩壊やアジア通貨危機などにより撤退を余儀なくされたものも少なくない。  そのなかでも少し異色だったのが東急グループだ。東急グループがタイに本格進出したのは40年近く前、1981年のこと。しかも大型リゾート開発ではなく、タイの大手ゼネコン・チョウカンチャン社との合弁で「チョウカンチャン東急建設」を設立したことがきっかけだった。さらに、1985年には大型百貨店の「バンコク東急百貨店」を出店。当初はタイに住む日本人と現地の富裕層であったが、経済成長とともに客層は一般市民にまで拡大、人気店となった。バンコクでは、1980年代にジャスコ(現:イオングループ)、富士スーパー(富士シティオ)なども進出、その後、多くの日系小売店や飲食店がタイへと進出する基礎を築くこととなったが、電鉄系流通企業の本格進出は東急グループが初であった。
バンコク東急

賑わうバンコク東急百貨店(東急グループ提供)

 東急グループによると、こうした海外進出は元々「環太平洋圏の中に2つの拠点を置き、(特に流通事業において)ネットワークを構築する」という考え方に基づいたもので、その1か所がハワイ、もう1か所がタイを含むASEAN地域であったという。  そのうち、ハワイは東急グループ創業家で当時会長であった五島昇氏とハワイ王族の末裔がゴルフ場で知り合ったことが、タイはチョウチャンカン社の社長の息子が日本に留学していたことが進出のきっかけの1つとなっており、どちらも小さな「人と人との繋がり」が大きな事業に繋がる一因であったとも言える。  ハワイでの事業については、残念ながら2000年代以降にリゾート、流通とも一部を除いた大部分が東急の資本を離れているが、タイでの事業は国内を飛び出し東南アジア各地の事業へと拡大、アジア金融危機を乗り越えて現在も成長を続けている。その大きな要因は言うまでもなく、東南アジアが「東急グループが蓄積したノウハウを生かした『まちづくり』をおこなえる市場」であったことだ。
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「田園都市」や「ブランズ」を「輸出」
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