物語中盤。橋田が暗い部屋で見つめるテレビのなかでは、若い女優が「どうして生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう? 自分の人生それでいいの?」と無邪気に語っている。この言葉は橋田=橋本の心を深くえぐる。主人公になれない裏方仕事にたった一度の人生を懸ける自分が、馬鹿らしくなってしまう。
そして究極の「働かざる者」が現れる。販売局次長の風間だ。「記者が必死に書いた記事なんて誰も読まない。働かないで出世する、それが一流だ」と豪語し、働かない技術を駆使して会社に居座るこの男に、橋田は急速に惹かれていく。しかし、風間にも橋田に近づく理由があった……。ダークサイドに堕ちたサラリーマンの凄みと哀愁を体現した風間のキャラクターは、土田世紀の名作『編集王』における疎井一郎編集長を彷彿させる。
風間を含め、『働かざる者たち』に登場するフリーライダーの多くは50代。大量に採用された昭和末期のバブル入社組だ。多くの企業が右肩上がりの成長を信じることができた最後の時代。新卒で入社してしまえば、定年までクビになることなく会社の看板に寄りかかれた最後の世代。そんな大企業の終身雇用制度に守られた最後の既得権益層が希望を失い、老衰した会社に寄生して養分を吸い続けるだけの存在に変化したミュータント。それが「働かざる者たち」の本当の正体だ。
弱りきった日本企業にも、かつては生き生きと成長していた太陽の季節があったように、働かない人たちにも、かつては希望に燃えた若い時代があった。ミュータント化したのは、必ずしも彼らが怠け者だったからではない。橋田は彼らに残された矜持に共感しつつも、覚悟を決めて決別する。
こうして本作は、若いサラリーマンの個人的な「死と再生」を通して、一点突破的に昭和的な日本型会社組織の末路をあぶりだし、報われなかった魂を鎮めるレクイエムとして完成する。