明治維新から150年続く、民主国家構想を潰した「長州レジーム」とは?

戦後も続く、攘夷・排外主義の「長州レジーム」

赤松小三郎ともう一つの明治維新

『赤松小三郎ともう一つの明治維新~テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)

 このような長州尊攘派の思想に立脚した体制を近年は「長州レジーム」と呼ぶ。赤松の立憲主義構想や薩土盟約がめざした体制とは正反対だ。  より明確に長州レジームを定義しているのは、拓殖大学政経学部の関良基准教授である。その著書『赤松小三郎ともう一つの明治維新~テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)によって、歴史に埋もれた赤松とその立憲主義思想を世に訴えた功績は大きい。  関氏の指摘を要約すると、「長州レジームとは、単に過激で排外主義的なものではない。覇権国には卑屈なほど隷属しつつ、国内では民衆に国粋主義を押し付け、近隣アジア諸国に対し高圧的な体制だ」。  その出発点は、長州が外国船に無差別に発砲し英仏蘭米に攻撃された下関戦争(1863~64年)だ。それまで「攘夷」として排外主義を実践する過激な行動をしてきたのに、戦争に負けると一転してイギリスと組み(というより隷属して)武力で政権奪取した。  長州レジーム内の攘夷・排外主義の側面が暴走した結果、第二次大戦で大日本帝国は敗北し、日本国憲法を柱とする民主国家に日本は生まれ変わった。と思っていが、実は長州レジームは死んでいなかった。関氏はこう言う。 「英米と戦った戦時閣僚の岸(信介)が豹変してCIAの手先になって首相にまで登りつめたという事象は、イギリス公使館を焼き討ちし、排外主義的攘夷戦争を行った長州がいつのまにかイギリスと手を組んで政権を奪取した歴史の再現であった」(前掲書より)

長州レジームVS.日本国憲法レジーム

 明治維新前後のイギリスへのへつらいが敗戦後はアメリカに替わっただけ。とはいうものの、第二次大戦の敗北によって、基本的人権の尊重を柱にする日本国憲法の誕生で、長州レジームに大きな亀裂がはいった。  だからこそ「戦後レジームからの脱却」などと安倍首相は声高にさけぶ。戦後レジームとは、長州レジームに大打撃を与えた「日本国憲法レジーム」にほかならないからだ。  日本国憲法など、自分たちが約150年前に滅ぼしたはずの慶応年間の立憲主義思想・民主主義思想の発展バージョンじゃないか、許せない……ということなのだろうか。  いまの政権は、長州レジームの復活に向け一直線のように見える。アメリカには異常なまでに隷属し、アジア諸国には高圧的、国内向けには特定秘密保護法、盗聴法拡大、共謀罪の制定などで言論表現の自由を極度に制限し、立憲主義をないがしろにしている。  軍拡が進む一方で実質賃金は5%も下がり、貧困は拡大して福祉は後退している。仕上げは憲法「改正」だろう。  赤松の構想や薩土盟約を日本国憲法レジームに例えるなら、安倍首相の言う戦後レジームからの脱却は、大日本帝国憲法体制≒長州レジームだ。まるで2018年の日本が幕末に戻ったかのようだ。  混迷する日本に必要なのは、むしろ長州レジームからの脱却ではないのか。平和維新が必要なのではないか。どう考えても、近代日本の原点は明治維新ではなく、その直前に芽生えた江戸末期の立憲主義思想だからである。  このように考えると、今後の方向性が見えてくるばかりか、NHK大河ドラマの『西郷どん』も違った見方ができるだろう。司馬遼太郎の本を読むときにも、違った楽しみ方が増えようというものだ。 <文/林克明>
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