Photo by Julian Finney/Getty Images
見事、全米オープンテニスで優勝を飾った大坂なおみ選手。恥ずかしながら、筆者が彼女の存在を知ったのは準決勝直前になってからだった。彼女が自分と同じ“ハーフ”であることを知ったのも、テニス好きの友人から「錦織と大坂、2人とも頑張ってほしいね!」と、その名前を聞いて検索してからだ。
大坂選手に関しては、完全に後追いの筆者だが、まずは簡単に自身の出自について説明したい。父親は日本人で母親はポーランド人。生まれも育ちも東京で、日本語と日常会話程度のポーランド語が話せる(あとは英語だが、これは勉強して覚えた)。見た目に関しては、髪色は茶髪で肌は白い。しかし、顔の“造形”は日本人の父親のほうに似ている(と思っているが、よく「ガイジン」扱いされる)。
今回は“ハーフ”である筆者が、大坂選手に関連したさまざまな意見について、どう感じたかを綴っていきたい。当たり前だが、以下は“ハーフ”の総意ではないし、あくまで個人的な感想だ。
’97年、ハイチ系アメリカ人と北海道出身の日本人の母との間に生まれ、’01年にアメリカへと移住……。そんな大坂選手のプロフィールを見て、筆者はぼんやりと「彼女が“日本人かどうか”、またネットで議論が起きるだろうな」と感じた。
「また」というのは、いわゆる“ハーフ”の人たちが話題にのぼるたび、彼らの“日本人度”が議論されてきたからである。記憶に新しいところでは、’15年にミス・ユニバース世界大会の日本代表に選ばれた宮本エリアナさんの例だ。アフリカ系アメリカ人の父親と、日本人の母親を持つ彼女の容姿や出自を巡って「日本代表にふさわしくない」という声があがったことはご存知のとおり。案の定、大坂選手が優勝を決めると、ネット上では彼女のアイデンティティについての議論が始まった。
まずは大坂選手が「日本人じゃない」という意見について考えてみよう。これはハッキリと答えが出ているので、議論の余地はない。アメリカとの二重国籍ではあるが、現時点で彼女は日本の国籍を有している。法的にはほかの日本人とまったく同じで、「日本人じゃない」なんて言われる筋合いはないわけだ。
しかし、他人の“日本人度”を計ろうとする人たちにとって、法律はたいした効果を持たない。日本で暮らした年数、生まれた場所、育った場所、日本語能力、日本がどれだけ好きか……。そういった部分が勝手に“審査”されていく。
当たり前だが、アイデンティティとはデータで単純に計れるものではない。また、筆者は自分の物差しで赤の他人を「本当に日本人かどうか」判断するというのは、かなり傲慢で危険な行為だと思う。同じ日本人のなかで、優劣をつける行為といっても過言ではないだろう。
次に「日本人に見えない」という意見だ。国籍に限らず、人を見た目で判断するのはよくない……というのは、幼稚園や小学校で習うレベルの話。しかし、これも“ハーフ”を巡る議論では、あたかも重要なファクターであるように取り上げられる。個人的にも嫌な思いをすることの多い要素だ。
筆者の見た目は先述のとおりだが、初めて会った人に自己紹介をすると高確率で「絶対、日本人じゃないでしょ?」「その見た目で名前が日本人とかウケる」といった反応をされる。「いや、日本人ですよ」と答えても「嘘ぉ~?」と嘘つき扱い……。母親がポーランド人であることや、どこで生まれ育ったかとひとしきり個人情報を明かさねばならず、“ハーフ”であることがわかると、ようやく相手は“納得”する。
生まれも育ちも日本で、日本語を話している自分ですら、見た目で「日本人ではない」と判断されてしまう。長年アメリカで暮らしている大坂選手がアレコレ言われることは容易に想像がついた。
ネット上では彼女の顔を事細かに品評し、どこが“日本人ぽくて”、どこがそうでないかという議論が始まっていた。
裏を返せば、どれだけ出自を掘り返して“日本人度”を計っても、見た目が“審査員”のお眼鏡にかなわなければ、その時点であっさりと“日本人失格”になってしまうようだ。そういった“審査”を日常的に受け続けなければいけない“ハーフ”は少なくない。
見た目に関しては、「褒めてるのに」という反応をする人もいる。しかし、例えば「肌が白いね」が褒め言葉だとすれば、肌の色が濃いというのはネガティブな意味になるのだろうか? 「目が大きくていいね」と言うなら、目が細い人は残念なの? いろいろ考えてしまう。ましてや、自分がいいと思っていることでも、相手はコンプレックスに感じていることだってある。これは外国人だろうが、“ハーフ”だろうが、同じ国籍だろうが、誰が相手でも同じだ。
そうなるとあらためて「人を見た目で判断するのはよくない……」という話になる。そもそも、見た目で“善し悪し”を考えたり、「らしい/らしくない」と判断することがナンセンスなのだ。