セネガル戦でまたも「旭日旗」。日本代表を応援するのに旭日旗を出すべきではないこれだけの理由

「日本が戦ってくれてアジアの国々は感謝している」のデタラメ

 それが今の日本だと、何をどうすればこうなるのか、このような話が堂々と跋扈する。 「戦後の日本社会は、明治以降の近現代史を醜聞の色に染め上げた『自虐史観』に支配されてきた。しかしこれまで私が自分の足で歩きまわって見聞してきたアジアには、日本のマスコミが声高に叫ぶ“反日”の声も、また学校で教わるような侵略の歴史も、いまもってお目にかかったことがない」(『日本が戦ってくれて感謝しています』井上和彦 著)  この本は10万部売れた「ロングセラー」とのことだが、いったいどういう風に「自分の足で見聞」すれば、このような虚構を堂々と語れるものなのか。しかもこのようなデタラメを平気で書いたものに誰も何も言わない理由はわからない。きっと「江戸しぐさ」のように自分が信じたいものを読みたい人が読んでいるのだろう。政治史や現地事情にさほど詳しい人でなくとも、このウソはすぐにわかることだ。  マレーシアの歴史博物館の壁面には、旭日旗と日本軍の兵士、それにひれ伏すマレーシアの人たちの巨大なレリーフがある。博物館の中に入れば、どのように日本軍は苛烈で残虐な統治をしたかの展示が続く。同じような国営の施設は、マラッカ、ペナン、コタバル(日本軍が第二次世界大戦で最初に上陸した場所)にもある。街の中心部で、地元の人間は誰でも知っている施設である。  先日、トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩最高指導者の歴史的な会談が行われたセントーサ島は、シンガポールのみならず世界中に知られた観光地である。そこには観光地らしからぬフォートシロソというイギリス軍が要塞の跡地が記念施設になっている。そこには日本軍と英国軍との戦いの記録と大東亜共栄圏の占領統治の実態や捕虜虐待、華僑虐殺などの記録が展示物として何部屋も連なっている。  シンガポールの玄関口、チャンギ国際空港からほど近いところには捕虜収容所の跡地があり、そこは今でも世界中の観光客が訪れる場所となっている。ここも日本軍の捕虜虐待の実情が延々と展示されている場所だ。この場所は日本の旅行ガイドブックには掲載されることは少ない。なお、チャンギ国際空港は元も砂浜を埋め立ててできたところであり、セントーサ島の砂浜とともに、そこはくだんの華人虐殺が行われた場所でもある。  日本人が多数訪れるチャイナタウンの一角にも華人虐殺の慰霊碑がある。リー・クアンユーが命からがら逃げ延びた場所だ。ここも日本の旅行ガイドブックにはひとつも掲載されない。近くのホテルや買い物に出かける日本人が多数ここを通り過ぎるが、その慰霊碑の意味を理解するものはほとんどいない。  シンガポールに調査に行ったとき、何人かの現地在住の日本人に話を聞いた。「シンガポールでは日本の占領時代の話を日本人がするのはタブーですよ」とその中の一人は教えてくれた。旭日旗を禁止することになったAFCの倫理委員会の委員長はこのシンガポール人である。 「マレーシアの教科書に大東亜共栄圏のおかげで独立を勝ち取ることができた。日本は感謝されている」というデマもネットで広く流布されている。  私がマレーシアでこの国定教科書を手に入れて翻訳してみると、これが全くのデタラメだということがわかった。「日本占領時代は、マラヤの国民を怖がらせた暗い時代だった」というのが、この教科書に書かれたことで、その被害や大東亜共栄圏の実態が延々と記述されている。現代史を避けて記述する日本の歴史教育とは全く違うものだ。このような記述はアジア各国、とりわけ大東亜共栄圏とされた国々の教科書はほとんど同じような論調である。なお、この教科書が制定された1988年は、「親日」であるはずのマハティールが首相であった時代だ。さらに追記すると、マハティールはもともと教育相の大臣を経験したほど教育について重視している政治家である。(参照:アジアの「親日」国家の歴史教科書を読む -「マレーシアの教科書に大東亜共栄圏のおかげで独立を勝ち取ることができたと書いてある」ってホント?
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旭日旗に付き纏う差別の記憶
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