会社を辞めた人々の出口には「米作り」があった。「誰もが土を耕す」時代は、今よりもっと豊かになる

人間の本来の“生きる力”を備えつけてゆく「米作り」

トンネル

出口には、米作りがあった

 都会の隅の夜のとばり、オーガニックバー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」。脱会社、脱消費、脱東京へと導かれる、別名「退職者量産バー」。扉を開けてカウンターに座るもすぐ、「仕事を辞めた!」とつぶやく男たち、女たち。居合わせる客が振り返り、拍手と喝采が起きる。 「落とし穴へいらっしゃいませ!」と、冗談交じりに店主の俺がニヤッと目をやる。そうやって悩める大人たちが散々と落とし穴の入口に吸い込まれていった。しかし、落ち行く穴の向こうには、出口も用意されていたのであった。  それは前回の記事でも触れた「米作り」だ。誰でも米は作れる。しかも無農薬、無化学肥料で! 千葉県の匝瑳(そうさ)市で俺たちが運営しているNPO「SOSA PROJECT」には毎年、都会から80組、老若男女200~300人が通ってくる。土に触れたこともない、種を蒔いたこともない都会の大人たちが初挑戦で米作りに臨んでも、誰もが収穫まで行き着く。米が取れなかった例はない。秋には全員が、自作の米をほおばる。
田植え

都会からやってきて田んぼ作業を行う人々。米作りは誰でもできる(写真/倉田爽)

 木々と山に囲まれ、虫や鳥の音に囲まれ、泥だらけにも関わらず皆が笑顔になりながら、人間の本来の“生きる力”を備えつけてゆく。米を作れれば、食せる野草を見分けられれば死ぬことはない。土に種を蒔けば、土木作業できれば、小屋の一つも作れるなら死ぬことはない。  それらのことができれば、何があっても生き延びられるのだ。頭と全身をフルに使うことで、おのずと笑顔に溢れ、生き物の息吹に感動する。風が汗をかすめるだけで幸せを感じ、ぐっすりと眠れる。農に携わる人は街暮らしの人よりも「病気が少なく、現役時代が長く、寿命が長くて、寝たきりが少ない」という研究結果も出ている。

日本の田んぼは、1000年以上にわたって人々が保ってきた貴重な遺産

sosaproject

ドローンで撮影した、「SOSA PROJECT」が米作りをしている谷津田(写真/山口勝則)

 米作りが盛んな匝瑳ですらも、山がちの谷津田(=やつだ。山に囲まれた田んぼのこと。「谷戸田=やとだ」「谷地田=やちだ」とも言う)などがどんどん耕作放棄地として広がっている。匝瑳市に限ったことではない。日本中の田んぼが耕作放棄地として広がっている。  農家の人口は減る一方だ。しかも平均年齢は70歳に近づこうとしている。歳を重ねて体力の衰えで辞めざるをえない田んぼや畑を、残った農家さんが請け負うにしても限界を超えている。国民的な歴史小説家だった故・司馬遼太郎氏は「日本の棚田こそ残さねばならない世界遺産だ」と語っていた。  動力機械のない時代から、急勾配な日本の山地に水を貯めるという想像も及ばないほどの労力をかけた土木作業を、人間の手足だけで成してきたのだ。1000年を優に超えて、人々の営みによって保ってきた遺産。それが田んぼなのである。  ジャーナリストの藻谷浩介氏は「1000年後に残っているものは何か」と問うた。高い建物や高速道路など、果たして1000年後に残っているだろうか。コンクリート建築は100年すら持たない。しかも、かつての日本の歴史的建造物と違って、劣化に伴う改築が難しい。  だとすると1000年後、それが現役の建造物として必要とされるものであり、かつ高額なお金をかけて最低でも10回以上建て直したものでなければ、残っていない。一方、多くの田んぼは1000年以上ずっと保たれてきたものだ。  そう考えると、世界遺産的な田んぼたちを次の時代に引き継ぎ、主食の米をつないでゆくためには、どうしたらいいのか。農家さんが増えたらいいだろう。実際に若い人の就農人気は徐々に高まっている。しかしそれだけでは到底追いつかない。
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誰もが生産者になり消費者を脱する
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