大阪の地震を受けて改めて思う、正常性バイアスの危険性
◆◆◆◆“アーチャリー”松本麗華の視線 第3回◆◆◆◆
6月18日午前7時58分、近畿地方にて最大震度6弱の地震が発生しました。被災された皆さま、そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
私は関東に住んでいるため震源地から遠く、仕事が一つキャンセルになったことではじめて震災を知りました。Twitterのフォロワーさんの中には、タンスがすぐ横に倒れてきた方や、食器棚が倒れているのに後から気づいた方もいたようで、改めて防災対策の重要性を考えさせられました。
実は私は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の数日後、被災地の神戸に行き、現地の状況を目の当たりにしています。
当時は、富士山のふもとに建てられた、第6サティアンで生活していました。地震の被害が甚大だとわかると、父は支援物資を被災地に送ろうと情報を集め、3日後、子どもたちや出家者を連れ、4トントラックいっぱいに積まれた支援物資と共に、被災地に向かいました。
被災地に入れたのは、未明ごろだったと思います。車が止まったので、「いつつくの?」と運転手さんに聞くと、「もうついたよ」と言われました。
私「街にはいつつくの? 大きな街に行くんでしょう?」
運転手さん「ここがそうだよ」
私「だって、何も見えないよ……」
電気が失われた暗闇の街――。
やがて夜が白み、世界が徐々に形を見せはじめました。朝日に照らされた街の光景は、今でも鮮明に覚えています。崩壊した建物に波打つ道路。かつては誰かの家だったとわかる、がれきの山。生まれてはじめて見る大地震の爪あとは、想像をはるかに超えていました。
支援物資を配るため避難所をまわりながら見たのは、疲れ果てた方たちの顔と、即席のテント。地震で多くの方が亡くなり、自らも傷ついた方たちが、自分の家に帰ることもできない――。
はじめて見る光景に、自然の驚異を確かに感じ、人の命も、人間が作ったものも、大地が揺れるだけで壊れてしまうのだと怖くなりました。
このときから「人間の命ってなんだろう。どうしてこんなに儚いのだろう。人間の力を過信してはいけないんだ」と感じ始めるようになりました。
被災地の神戸に行き、現地の状況を目の当たりにして
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