英国リーグへの挑戦を保留にしたカレン・ロバート「40歳までには自分のチームでJ昇格したい」
前回記事「元磐田カレン・ロバート、ニセ代理人に3回も連続で騙されていた<2>」より)。そして、方向を変えた。
元々彼の父親は北アイルランド出身の英国人である。名前の「ロバート」、愛称「ボビー」そのものが父親が大好きだったマンチェスター・ユナイテッドのボビー・チャールトンからきている。
いつだったか、筆者は冗談半分に「マンチェスター・ユナイテッド贔屓の北アイルランド人ならジョージ・ベストだろう」と言ったことがあったが、とにかく彼は「ボビー」として生きてきた。
顔に似合わず、思考回路も生活習慣も日本人そのものの彼だが、本来ならオランダの後に一度は父の祖国、フットボールの本場たるイングランドでプレーして、その後日本で、できればユースで所属していた柏レイソルで引退する……というのが元々の青写真だったのだ。
インド行きの目算が狂ったカレン・ロバートは切り替えて英国に向かった。そして現地代理人の伝手でスコットランド三部のトライアウトを受けた。
「こちらは“もし一番希望の選手がとれなかったら”という保険的な感じだったんですけど、結局お目当ての選手が獲れたということで話は流れました。その間にイングランド七部のトライアウトを受けたんですよ」
そのときに、イングランドとスコットランドの間に横たわる大きな格差をまざまざと見せつけられたという。
「合格の場合に、という前提でスコットランド三部が提示してきた金額と、イングランド七部が提示してきた金額がほぼ同額だったんですよ。どちらも週給200ポンドでした」
現在1ポンドが約150円として計算すると、一週間に三万円程度、これでは物価の高い英国で専業で暮らすのはまず不可能である。そしてこの金額そのものがイングランドとスコットランドの市場の規模の違いを浮き彫りにしている。
「スコットランドの若い選手たちとも何となくお金の話になるじゃないですか。一言“クソみたいな金額”と吐き捨てていましたよ。ベテランでも300くらいが相場らしいです」
それでも上記のイングランド七部から正式オファーがあり、身分照会が必要となった。前所属クラブからの移籍証明書を受け取り、次に所属する国のサッカー協会、この場合でいうとFA(イングランドのフットボール協会)に書類を提出するという運びになった。
カレン・ロバートにとって、イギリスはまだ見ぬ故郷だった。
インド大使館前で待ち合わせた元代理人からありえない一言を聞かされ、騙されていたカレン・ロバートは目が覚めた(1
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