髙坂勝
東京・池袋の駅から15分以上も歩く面倒なところに、別名「退職者量産バー」と呼ばれる店が、かつてあった。道に迷いたどり着けない、そんなヤカラもいた。生きる道に迷い、たどり着きたい場所にも迷ってしまう……。不幸中の幸いで、なんとかたどり着いた場所。その店の名は、オーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」。
「月を眺める余裕を取り戻そうぜ~」という意味合い。呑兵衛にはちょうど良い、呑気な店名だ。この店のことを「都会のオアシスだ」と、聖地のように美しく表現したヤツもいた。ロマンチックな店名に誘われ、吸い寄せられてゆく。
これは、今年3月いっぱいで閉店した、同店店主のつぶやきだ。
「人が生きていくには、給料人間になるしかない」という教え
「サラリーマンから足を洗いたい」
このバーカウンターで多くの「雇われ人」たちが、いまの仕事を辞める決断をしていった
都内のとある小さなBARで、超有名会社に勤める30代半ばの男が、力弱くも希望を添えてそう言った。
足を洗う。
普通は「ヤクザな稼業から足を洗う」「ギャンブルから足を洗う」といった感じで使う。
「悪いことから抜け出す」「良くないことをやめる」という意味合いで「足を洗う」という言葉を使う。これは仏教用語から発している。お堂に上がる時に、汚れた足を洗うからだ。
「サラリーマンから足を洗いたい」とは、つまり「サラリーマンは悪い」「サラリーマンは良くない」「サラリーマン稼業で汚れた」ということが前提なのだろうか!?
ここでいうサラリーマンとか会社とかいうのは、民間企業だけでなく公務員やあらゆる組織や、そこに通勤する類の人たちを含めておこう。地方では公務員やJAしか“いい勤め先”がないからだ。巷ではいまだ、親は子に「いい会社に入れ」と言う。サラリーマンとは「給料人間」と訳すのだろうか。「人が生きていくには、給料人間になれ」と。巷ではそれしか道がないようだ。