政権に批判的な学者への科研費バッシングと弁護士への懲戒請求濫発の背後に共通するもの

どこか既視感がある弁護士と学者への攻撃

 この2つの事象を見て、『日本会議の研究』の著者である著述家の菅野完氏はこう語る。 「弁護士と学者が標的になる、というのは既視感があります。『統制の王道』ですね。戦前の歴史を思い起こすとき、大学での弾圧なら滝川事件とか、法曹界での弾圧なら布施弁護士の事例とかを思い起こすでしょう。しかし、滝川事件も布施弁護士の事例も『超スーパーメジャーな事例』であって、この事例の他にも、学者や弁護士が細かい弾圧にあった事例というのはたくさんあると思います。なぜか? それは学者も弁護士も『人間を自由にする』という共通点があるからです。『統制』のためにもっとも邪魔な商売なんですよ。 『統制』というとピンと来ないかもしれませんが、今風に言えば『合理的な行政運営』とか『効率的な予算執行』って言葉をかざすと、みんな二の句が継げなくなるでしょう。戦前ならば、『畏れ多くも天皇陛下におかれては』という枕詞と同様です。  で、そうした言葉がまぶされていると、『統制のための弁護士や学者への弾圧』に一般市民も狂喜乱舞して参加してくる。学者や弁護士などブルジョワでインテリゲンチャな連中を引きずり下ろしたれという歪んだ情念とあわさり、燃え上がるんです。戦中の生活や社会の変化をつぶさに記録した清沢洌の『暗黒日記』を読むと、”金持ちの家の方が燃える面積広いから空襲大歓迎”っていう庶民がいたなんて話が書かれていたのと同じようなことです」  学者や弁護士の話だから庶民には無関係……などと、明らかにおかしな事態に声をあげることなく、無関心を続けたらどうなるか? こうした「運動」の標的が「あなた」に向けられたとき、そこにあなたのために声を上げる人は誰ひとりとして残っていないという事態になるかもしれないのだ。 <取材・文/HBO取材班>
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