表現の自由という発信者側の権利だけではない。「知る権利」という用語が正しいかどうかはわからないが、情報を受け取る側のメリットを大きく損なう危険性が指摘されたのが、2004年に注目された「Google八分問題」だ。
発端は、悪徳商法に関する情報交換を目的とした『悪徳商法?マニアックス』という老舗サイトの掲示板に、電話勧誘等で宝石販売を行うウェディング社が悪徳商法なのではないかとする情報が投稿されたこと。社長に前科があることなども投稿され、ウェディングが社が『悪徳商法?マニアックス』の管理人・Beyond氏に対して6000万円を請求する訴訟を起こした(後にウェディング社が訴訟放棄して終了)。
このときウェディング社は、Googleに対しても抗議。検索結果に『悪徳商法?マニアックス』が表示されないように要求し、Googleが従った。これが「Google八分問題」だ。やがて『悪徳商法?マニアックス』で前述の日本平和神軍の話題が言及されるようになると、そのページもGoogle八分にあうようになった。当時、『悪徳商法?マニアックス』とは別にマンション関係の有名企業を批判するサイトも、Google八分にあっていた。
ウェディングが起こした一連の問題の総称が「ウェディング問題」で、その一部として起こったGoogleをめぐる問題が「Google八分問題」だ。
Google八分は、アダルトサイトのフィルタリングや、SEOテクニックを悪用する「検索エンジンスパム」と呼ばれるサイトを検索結果から除外するといった、Google側が自ら導入し機械的に処理する仕組みとは根本的に違う。特定の企業などの求めに応じ、Googleが「検閲代行」をするようなものだ。
私企業とは言え、当時すでに検索エンジンの中で圧倒的なシェアを誇り、人々がネットで情報を得る上で欠かせない存在になっていたGoogleにも、公益に関わるサービスを提供する上での責任があるのではないか。そのような議論を呼んだ。
現在でも、Googleの検索結果には時折、検索結果が削除されていることを示す注意書きが末尾に表示されることがある。Google八分は今も続いているが、こうして削除の理由を明示することで透明性を図ろうとしているのだろう。
GoogleもTwitter同様、いち私企業にすぎない。しかし圧倒的なシェアを誇り国民の情報収集に欠かせない存在であればこそ、表現する側だけではなく表現を受け取る側に対する公益上の責任がある。
「私企業がどんなルールでサービスを運用しようが自由」だとか「無料サービスを使わせてもらっておいてガタガタ言うな」といった言説では正当化できない。