「日本一怪しい通訳者」タカ大丸のマラソン珍道中 ようやくゴールするも足動かず
前回のとおり、ハーフマラソンに出場するために加計呂麻島を訪れていた筆者。
この四か月前の対馬ハーフでは、19kmあたりから左ひざに激烈なランナーズニーが発生し、最後は歩くことさえままならないままゴール直後に救護室へ駆け込んだ。
いや、「駆け込んだ」ではいかにも足が動いていたように見える。こういう状態を日本語で何というのだろう。
「いざりこんだ」とでも言えばこの状態が少しは伝わるだろうか。タイムは2時間3分だったので、まずは2時間を切りたいところだ。そして何より、ひざの痛みなしでゴールしたい。そうでなければ、成長したことにならないではないか。
ハーフで2時間3分ということは、単純計算で1㎞あたり5分50秒ということになる。
フルマラソンでサブフォーを達成するにはキロ5分42秒が必要となるので私の走力ではまだフルで四時間をきれない。
ただ、前回と決定的に違うことがある。7月初旬の対馬ハーフのときは、5月上旬から6月中旬まで「レスターの奇跡」と「ジェイミー・ヴァ―ディー」にかかりきりで走る時間がなかった。
今回は左ひざの痛みが癒えた7月中旬から約四か月走っているということだ。
理由は簡単。ほとんど働いていないからだ。鈴木宗男先生の訓えにしたがいランニングマシンと下半身のウェイトを重ねて前回よりは足の出来上がり方が全く違う。
ほぼ毎日キロ5分で一時間、つまり12㎞分を走り、週に一度はスピードトレーニングとしてキロ4分30秒で走るようにした。もっとも、スピードの日はせいぜい20分程度だったが、それでも走らないよりはマシなはずだ。
6月下旬、対馬の二週間前に初めて皇居を四周、つまり20㎞を走った。そのときの衝撃は大きかった。
足首と左ひざがいうことを聞かなくなり、大手町駅への階段を下りるのにも難儀した。両手で手すりを全力で掴み、半身でそろりそろりと降りるしかなかった。
さらに翌朝目覚めると、今まで見たこともないほど尿が茶色に近い黄色に染まっていた。ゆっくり20㎞走っただけでこれだと、フルを走り切ったらどうなるのか、想像すらつかなかった。
その後、20㎞走っても以前のようなことはなくなった。これなら少なくとも2時間は切れる、いや1時間50分くらいは行けるのではないかという手ごたえがあった。
最初の1㎞は4分42秒で入れた。といっても安物のランナーズウォッチだから正確に1㎞毎のラップを刻めるわけでなく、走行距離もわからない。あくまでクロノグラフの目測だ。
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