日本や世界の報道では「レッドブル創始者の孫」とされるが、タイ国内では「レッドブル創始者」の部分に引っかかる人が多い。確かにユーウィタヤー家はレッドブルによって富豪の名家になったが、そもそも「レッドブル」の創業者としてタイでは見られていない。
現在のタイ政情不安の発端となったタークシン・チナワット元首相もそうだし、タイの富豪の多くは中国からの移民の子孫だ。学もなく、現在バンコクで見かけるカンボジア人などと同じ肉体労働に従事して子どもを学校に行かせ、浮き上がってきた人々になる。
チャリアウ・ユーウィタヤー氏も海南系華僑の3世に当たるのだが、チャリアウ氏自身の幼少期は貧しく、薬店で働きながら事業を興し、1970年代後半にレッドブルの元になる「グラティンデーン」を開発した。少なくともタイではグラティンデーンとレッドブルは同じものだという認識はない。
当時すでにリポビタンDがタイで人気で、グラティンデーン自体は今に至るまでレッドブルのイメージほど売れていない。つまり、タイでは人気のない栄養ドリンクである。これに目をつけ1984年にタイ国外での販売権を取得し、レッドブルとして販売を始めたのがオーストリア人のディートリヒ・マテシッツ氏だ。
ユーウィタヤー家が大富豪にのし上がったのは、グラティンデーンの売り上げよりもレッドブルへのラインセンス料と株式51%を得たからだ。タイのほかの富豪は自分の事業を自分や一族の力で大きくしていることが多いのと比較すると、サクセスストーリーがやや異なる。
ちなみに一時期、イギリスなどのクラブシーンでレッドブル・ウォッカが爆発的に人気になったことがある。このときに「タイ産レッドブルで割ると麻薬並みにハイになれる」という噂が広まった。レッドブルとグラティンデーンでは成分が全然違う、というよりも、飲みものとしてまったく違う。グラティンデーンは飲み過ぎると健康を害するとも言われるので、アルコールと混ぜるとアッパー系の麻薬っぽくなるという噂もなんだか本当に思えてしまう。
ともあれ、ユーウィタヤー家はディートリヒ・マテシッツ氏の販売戦略のおかげで短期間で富豪に成り上がったという、ほかのハイパー富裕層とはやや出自が違うのが特徴ではあるが、タイではカネさえあればどうにかなってしまう。そんな国だった。
これまでのタイは特権的なハイパー富裕層は人を殺そうがドラッグで酩酊しようが、絶対に捕まらなかったのだ。この構図は単に富裕層の経済力だけでなく、それ以外のタイ国民もまた拝金主義であったことも要因だ。
タイのスラム街。1日に何千万円を使っても資産がなくならないハイパー富裕層がいる一方で、数百円を稼ぐのに苦労をする貧困層も少なくない
2013年におけるタイ情報技術・通信省の月間所得分布統計によると、異常なまでの格差社会であることが見て取れる。全土的な平均世帯収入が3万バーツ程度だとすると、それを越える所得を得ている人口はわずか5.45%にすぎない。富をハイパー富裕層だけが握っている状態だ。これに加え、タイは命が軽く見られる。例えば自動車保険も限度額が死亡者への賠償より物損の方が高くなっている。社会に回っている金は貧困層には届かない。そのため、手にできるかもしれないわずかな貨幣の争奪戦となる。金だけを崇めるしかなくなってしまうのは仕方がなかった。
しかし、ネットの普及でライフスタイル自体が大きく変わってきた。かつてはテレビのない家だって珍しくなく、情報格差も大きかった。それがバンコクと地方のタイムラグがほとんどなくなり、生活水準も上がったことで、人生において優先するものが金からほかのものに変わってきた。