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これもコスタリカの選挙運動。子供たちも混じって青空プロレスを楽しんでいた
コスタリカの国会は一院制、日本は二院制。選挙制度を比較しても、コスタリカはブロック比例代表制、日本の衆議院は非自民系の細川政権時に導入された小選挙区比例代表並立制で、それ以前は1つの選挙区から主に3~5人が選ばれる中選挙区制だった。コスタリカは一院制でブロック比例代表制しかないのだから、選挙区と交代で立候補するような「方式」が不可能なのは誰でもわかる話だ。
選挙期間も、コスタリカは4か月間なのに対し、日本は17日間(法的にはそれ「以上」だが、ほとんどが17日間で終わる)。選挙運動の方法もまったく違う。日本では選挙カーで候補者の名前を連呼したり、駅前で街頭演説をしたりという「絶叫系」の傾向が強い。
それに対して、コスタリカでは子供まで巻き込んだ、文字通りの“お祭り”的イベントとなっている。選挙運動を見てみると、サンバ・カーニバル、青空プロレス、野外フェスなどが次々に繰り広げられ、“お祭り”以外の表現を思いつかない。
実際、候補者や政治家たちも、選挙を司る行政の人たちも有権者たちもみな、選挙を「フィエスタ(お祭り)」と表現する。国政選挙は近代民主主義社会の土台であり、あらゆる基本的人権と自由を行使する基本的な場だからこそ、それを「享受」(楽しく経験)する。これこそ、真の「コスタリカ方式」なのである。
このように、コスタリカと日本の選挙では、制度論的にも実態としても、むしろ類似点を見出すことの方が難しい。では、なぜ総選挙のたびに「コスタリカ方式」なる言葉がメディアに踊るようになったのだろうか。
小選挙区比例代表並立制で導入されたのは「腐敗温存方式」
投票日夜、開票速報を見るために政党ごとに集会を開く。コスタリカは比例代表制のため無所属候補はおらず、政党の色わけで獲得議席数がわかる
「コスタリカ方式」の名づけ親は、コスタリカ公式訪問の経験があり、その選挙制度についても知っている森喜朗元首相だと言われている。
コスタリカでは、国会議員の連続再選を禁じている。一度国会議員となり、4年間の任期を勤めあげたら、次回選挙には立候補できない。要するに、「一度(比例区で)立候補したら、次の選挙は(比例区では)お休みで(その代わり小選挙区で立候補し)、またその次は(比例区から)出ることができる」。このカギカッコの文章のうち、()の部分を削除すれば、コスタリカの選挙方式と同じだ、というわけだ。
強弁にもほどがある。
しかも、コスタリカの連続再選禁止規定は「腐敗防止」を根拠としている。長く続く権力は腐敗するという、世界共通の一般的経験則からくるものだ。一方、選挙区と比例区で交互に立候補する日本の「方式」は、権力を長く続けさせ、腐敗を温存、さらには助長するためのものと言ってもいい。まったく違うどころか、むしろ逆の「方式」なのだ。
それを「コスタリカ方式」と呼ぶのは、一昔前にソープランドが「トルコ風呂」と呼ばれていたレベルの、コスタリカに対してたいそう失礼なことである。無批判に20年もこの言葉を使っている各メディアも、「言葉の職人集団」として、もう少し考えるべきではないか。呼び方が必要なら、名づけ親の名前にでも言い換えればよいのだ。
※なお、コスタリカの選挙については、拙著
『平和ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)の第3章に詳述してあるので、興味のある方は参照していただきたい。
<文・写真/足立力也(コスタリカ研究者。著書に
『丸腰国家~軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略~』(扶桑社新書)など。コスタリカツアー(年1~2回)では企画から通訳、ガイドも務める)