IT化の大波に埋もれ取り残される町工場。今後の日本のモノづくりを支えきれるのか

町工場の経営者はほとんどがパソコンを知らない団塊の世代

 そうなると当然、筆者が伝票を作成する際も「手書き」せざるを得なくなるのだが、正式な書類を何通もペンで書くというのは想像以上に煩雑で、間違えれば原則書き直しせねばならないし、これがまたなぜか“製造業界の漢字”には、「研磨」「精密機械」「蒸着」など、画数の多いものが多く、毎度かなりの労働時間を「漢字」に費やしていた。 「パソコンだったら毎回書かなくても済むのに」と不満を垂れる筆者に、「手書きの方が誠意が伝わるやろ」と、言い訳じみた励ましを返してくる父の気持ちも、昭和の人間からするとまあ分からなくもないが、得意先で着々と進む担当者の世代交代に、その気持ちが充分に機能していたかはいささか謎である。  もちろん町工場にもパソコンを導入し、IT化に成功しているところはあるが、筆者の父のような「経営者自身が団塊世代以上の職人」で、経験や技術が一本化されている町工場になると、その移行率は著しく低くなる。  彼らは失敗した時のリスク、軌道に乗せるまでの労力などから、現行正常に機能していることにあまり手を加えたがらない。  不慣れなことが増え、できていたことができなくなるリスクを負うくらいならば、現状の「手書き」のままで全く問題ない、と相成るわけだ。それを裏付けるかのように、年季の入った機械や工具ばかりの“物持ちのいい町工場”に営業として伺うと、やはり「手書き」の伝票を渡されることが多かった。  決して「アナログ」が悪いわけではない。耳上に挟んだボールペンと、ポケットにねじこんだ伝票があれば、その場ですぐに処理できる利便性もある。  父の工場の廃業が決まり、保存義務期間の過ぎた書類を1枚1枚確認しながら焼却処分していた際、父が言った「ほれ、この時最高売上出して嬉しくてな、だから帳簿にハナマル付けてん」という言葉で、「書いた記録は記憶に残りやすい」というアナログのメリットにも気付いた。  しかし昨今、労働の現場で優先される処理能力は、「記憶」から「共有」へと大きく移行してきている。“IT化の波”はもはや「波」ではなく「水面の上昇」にまで達しており、ここ数年で多くの町工場にも、否応なしに「共有」型へ移らねばならない時が迫ってきているのだ。  その大きな契機となっているのは、「大手取引先企業のIT化」だ。  父の工場では、大手の取引先数社から、企業として信頼性があるかを確かめるためなのか「売上報告書」や「環境調査票」などの提出を年1回のペースで求められていた。  なかなかの内容量だったその書類は、筆者が工場に入社した直後は、全企業が「受け取り」も「返送」も郵送だったのだが、時が経つにつれ、メールに添付されたファイルをダウンロードし、データを書き込み返信した後、バックアップしたCD-Rの提出をするようにと、仕様を変更していく企業が増えていった。  普段の業務においても、金型業界には毎度欠かせない図面や写真などの授受は、ファックスからメールへと移り、「圧縮したファイル」を「解凍する」という作業も必要となっていく。  このように、大手取引先企業のIT化によって、自社にもITを取り入れざるを得ない町工場が増えているのだが、若者にとってはなんてことないこれらのパソコン作業であっても、不慣れな団塊世代の一部にとっては、「ダウンロード」、「圧縮」の意味から1つひとつ調べる手順が必要になってくる。
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町工場と大手企業の情報格差はますます広がる
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