ワンマン経営の零細工場が抱える“爆弾”は、いつか弾ける

入院中だった父と、大学卒業式を終えたばかりの筆者

 前回は、ブラック企業にならざるを得ない中小企業の内情を紹介したが、父が工場を閉めることになったのには、この他に2つの要因が存在する。そのうちの1つは、「ワンマン経営のもろさ」だ。  筆者は大学生の頃、工場を継いでほしいという父からの真剣な頼みを、2回断っている。幼い頃から工場に育てられてはきたが、今まで目の当たりにしてきた男社会に入る覚悟が当時なかったことと、若いなりの夢があったことが大きな理由だった。  それでも結局筆者は、大学卒業を待たずして、父の工場へ入社することになる。今回は、当時父の身に起きた事例に照らし合わせながら、ワンマン経営がゆえに起こり得る町工場の問題を綴っていこうと思う。  大学の卒業式を1か月後に控えたある寒い日の朝、母親との無駄話を終え、自分の部屋に戻る階段を上がっている時、家の電話が鳴った。自営業の家庭にはよくある話なのだが、会社の始業時間前後にかかってくる電話には、毎度緊張させられる。そんな中でも、その日のベルはなぜか特別に胸騒ぎがした。  ベルが止みしばらくすると、母の叫ぶ声がした。「父ちゃんが倒れた」という。慌てて車で会社に向かう筆者の横を、1台の救急車が走り去るのを見て、ハンドルを握る手が震えた。  父が集中治療室にいた1か月、会社は大荒れだった。過去に突然の独立騒動があって以来、技術や経営のノウハウを外に漏らさぬようにと、工具を注文する店や、各取引先の受注担当者などといった企業秘密は、彼の頭の中にあったのだ。いわゆる完全なワンマン経営だったのだが、こうした父なりの会社を守る対策が、今回逆に仇となった。  管につながれた父にはほとんど意識がなかった。筆者と母は、社長室の「痕跡」を頼りに何とか社長業を引き継ごうとするが、そもそも何が分からないのかが分からない。それらを見出す唯一の方法は、問題がそれぞれ深刻化し、表面化してくるのを待つことだった。  注文先の分からない工具は、集中治療室へ持って行き、「父ちゃん、これどこで買うん?」と、ダメ元でちらつかせてみるが、「看護婦さん可愛いね」にも反応しない父に、こんな状態にまでなっても仕事をしてくれると思った自分が滑稽に思えた。
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取引先には「父は長期海外出張中」と告げた
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