常に英国の都合に翻弄されてきた、アイルランド国境の人々

カトリックとプロテスタントの抗争の歴史が今も影を落とす

 現在でも、そのトラウマを抱えた住民は多い。 「今日ですら、鮮やかなオレンジ色をしたジーンズ姿の若者を見て、一瞬体がすくんでしまったという年配者もいます」とマッケイはため息をつく。  オレンジは、1688年にイングランド王座を追われたカトリックのジェームズ2世と1690年に戦ってこれを破り、アイルランド支配とカトリック迫害を強めたプロテスタントのイングランド王、オレンジ公ウィリアム(ウィリアム3世)にちなんだ色だ。現在でも、その「功績」を讃える「オレンジメンズデー」(7月12日)にはプロテスタント系住民によるパレードが開催され、カトリック教徒とのいざこざが発生することもある。
旧デリー解放区入り口

旧デリー解放区入り口

 カトリック教徒が集中的に住む下町を歩くと、あちこちで壁画を見かける。そのほとんどが、“The Troubles”(「トラブル」)と称された、20世紀後半における英国による弾圧に戦った地元カトリック系住民の姿を描いたものだ。いかにして彼らが英国に対して戦い、また不当に抑圧され、投獄され、殺されていったかを、圧倒的な写実力で迫る。

「血の日曜日事件」で殺された少女が描かれた壁画

 1969年から1972年にかけて、カトリック系の市民がバリケードを築いたボグサイド地区では住民が「自治」を宣言し、英国軍の侵入を阻んだその入り口で、“You are now entering Free Derry”(この先デリー解放区)と大きく書かれた壁が往時を伝える。その先にはフリー・デリー博物館があり、「血の日曜日事件」を中心に「トラブル」について詳細に伝承している。  訪問者は、表面的には平和なこの街のあちこちに、紛争に起因する文化が深く根づいているさまを目の当たりにするだろう。平和構築を目指す地域住民の心からは、まだ紛争が完全に拭い去られたわけではないのだ。
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国境をまたいで生活をする人々
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