元・阪神の名物選手の経営論。引退後のモデルケースを作るために必要なこと【アスリートのセカンドキャリア考察】

自ら包丁を振るう、元野球選手のオーナー店長は珍しい。葛城は、料理人としてイチから厳しい修行に励んだ

 元・阪神の人気選手だった葛城育郎の現役時代にクローズアップした前回。本稿では、引退後に実業家として活躍する葛城の知られざる顔に迫った。その想いは、野球選手の引退後の可能性を広めるための、雇用機会創出にまで及んだ。

イチから修行して身につけた料理のノウハウ

 引退後、葛城が選んだのは料理人への道だった。「小さい頃から『自分の食べるものは、自分で作れ』という教育の家庭で育ったので、料理は身近で好きだったんです」というように、1年半を修行期間と決め、イチから料理の道を学んでいく。  元・野球選手が店主を務めるお店では、当人が包丁を持たずに、店頭に立たないという店も珍しくない。だが、そんなスタイルの店舗にしたくないという強い思いがあった葛城は、朝は神戸の市場で無償で手伝いを行い、仕入れの勉強。夜は大阪・野田阪神にある知り合いのお店に頼み込み、料理の基礎を取得していく日々。当時の睡眠時間は3時間程度だったという激務の中、着実に料理のスキルを伸ばしていった。

「お店が第一」実業家としての顔

「これまでの人生で野球しかしてなかったんです。当然バイトの経験もないし、社会的なことを何も知らなかった。だからそんな状態でお店が出来るわけないと考え、必死に働きました。目的があったから、バイトでも苦にならなかったし、むしろ新鮮なことが多くて新しい発見もあり刺激的でした」。  1年半を経て、物件探しから開業準備まで自身でこなし、阪神西宮駅からほど近くに、「酒美鶏 葛城」を2013年にオープンさせる。仕入れ時代に構築した人脈を活かし、新鮮な朝引き地鶏を溶岩プレートで客側が焼くというスタイルが人気を博し、オープン4年目を迎えた現在は、女性客や、地元の固定客にも支持される人気店となっている。 「料理人と比べると技術的にはまだまだ。それに焼き鳥屋のスタイルだと、厨房に入りっきりでお客様と話せない。いろいろと考えた上で、今の営業スタイルがベストと判断しました」

お店の名物、溶岩焼き

 葛城の料理に掛ける情熱は、生活スタイルにも現れている。  月に数回の定休日を除けば、毎日昼頃に出勤し、営業終了までお店に立ち続けている。オリックス、阪神のOB会や野球関係の寄り合いにも一切顔を出していない。理由を尋ねると、「予定が会えば行きたいのですが、お店が第一。僕がいなくても、お客様に迷惑をかけないのであれば問題ないのですが、まだそこまでいっていないので」と、その顔は実業家そのものだった。
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「自分にとってはプロスポーツのほうが楽だったかもしれない」
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