覚醒剤密輸で逮捕されタイの刑務所に収監されたある日本人元受刑者

 タイの麻薬に関する法律「タイ国2545年(2002年)制定の麻薬・覚醒剤に関する刑法」ではアンフェタミン系の覚醒剤は1級に分類される。これは等級というよりもカテゴリーのことで、1級は違法となる成分の純物質が20gを超えているものを密輸入した場合、終身刑あるいは死刑となる。竹澤によればほかの日本人受刑者のほとんどが求刑死刑、判決が終身刑だったようで、むしろ有期刑で済んでまだよかったとはいえる。  1審に立ってくれた弁護士も2審には現れず、私選弁護士を友人と竹澤の妻がつけてくれたものの、結局3審も2審判決を支持して30年で確定。もし2審で終わらせておけばタイミング的に恩赦がつき、2015年に釈放された可能性もあったかもしれなかった。結局裁判に2年を要し、公判中の2003年には母親も亡くなってしまい、死に目に会うことはできなかった。自業自得ではあるが、竹澤にとってすべてが不運だった。

2011年の大洪水の際、チャオプラヤ河のそばにあったバンクワン刑務所内も水浸しに(竹澤氏による)

 2004年になって竹澤は終身刑や死刑囚を含む、刑期が30年以上の囚人が入るバンクワン刑務所に移送された。バンコク近郊にある刑務所で、日本人受刑者が今でも数人ほど服役している。ここである意味、竹澤の性格が幸いした。 「私はどんな状況にも適応できる性格ですので2、3か月で刑務所生活には慣れました。刑務官は仲がよいというほどでもありませんが、日本人には親切でしたね」

「仕事」で稼いだ刑務所生活

 厳しい環境ではあるが、タイの刑務所はカネさえあればある程度は楽な暮らしができることもすぐさま理解した。タイ人受刑者には労働が科せられ、わずかながら日銭を手にできるが、外国人受刑者にはない。また、差し入れで家族などが食料や現金を入れてくれればいいのだが、竹澤にはそれもない。同時に、竹澤には喘息という持病のため、薬を買う金を稼ぐ必要もあった。そこで竹澤が始めたのが刑務所内で商売をすることだった。日本では考えられないことだが、タイではそれが黙認されていたのだ。 「最初に始めたのはあんドーナツです。1日70個くらい売っていました。途中からベーキングパウダーが禁止になったのでだいふくに変えましたがあまり売れず、タバコとコーヒースティック1杯分のバラ売りを始め、これは順調に売り上げを伸ばしていました」  このほか、タイの無料誌に手紙を送って相談し、連載枠をもらい執筆活動も始めた。このときは所内で現金としても流通する切手で原稿料を受け取った。
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「死」が近づく日々
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