大連のランドマーク的存在はなぜ市民不在のまま密かに撤去されたのか?

中央政界で失脚した元市長に由来

 姿を消した華表を建てたのは薄煕来元大連市長だ。薄煕来氏は、中央政界進出後に権力闘争に敗れ失脚、2013年に在任中の横領や職権乱用の罪で無期懲役が確定している。  薄煕来氏は1993年から大連市長、99年からは大連市党委員会書記(市長より上級職)、2001年から04年までは遼寧省長を歴任した。薄煕来氏が在任中に華表を始め今も残る巨大モニュメントなどを数多く作っている。それらが薄煕来氏の権力のシンボルであり、中央政権への野心だったと言われる。薄煕来氏失脚後、大連で氏と関係が深かった企業や組織は壊滅的なダメージを与えられ大連の経済自体も弱体化し、大連の景気は一気に冷え込む自体を招いた。

大連は真珠の産地だったことから薄煕来時代に作られた友好広場の巨大真珠

 薄煕来氏のシンボル的な存在が撤去されたのは、2015年に新しく就任した肖盛峰市長の出身母体が習近平国家主席など政権主流の太子党とは異なり、共青団(共産党青年団)だったこともあり、立場的にも弱く中央政府の意向に従い撤去したと大連の中国人経営者の中では話題になっている。  それにしてもまったくの秘密裏で撤去が行われるなどいくら一党独裁の中国でも強引だろうという印象があるが、その理由として、薄煕来時代を懐かしむ大連人が少なくない現実も関係している。 「(薄煕来時代の)90年代の大連はとてもきれいな活気ある住みやすい街で、大連が誇らしく輝いているなと感じる時代でした」という大連出身者の声を耳にする。  事実、薄煕来時代は、都市緑化率が中国1位となったり、将来を見越して都市部への二輪車乗り入れを禁止したり、自動車の排ガス規制を日本並みに厳しくしたり、大前研一氏の協力を仰ぎソフトウェア産業の集積基地(大連ソフトウェアパーク)を計画し、2000社近い日本企業の誘致に成功、日本語人材が大量に集まるようになり、大連は中国を代表する日本のオフショア(アウトソーシング)産業拠点として21世紀に花開き多くの雇用を生み出している。
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強引な撤去の背後には何が?
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