萩市長と会津若松市長は握手したことがない!? 戊辰戦争の“終戦”はまだ先?

なぜ、山口県だけが恨まれるのか

 戊辰戦争では、鳥羽・伏見の戦い、北越戦争、五稜郭の戦いなど数々の激戦があったが、とりわけ会津戦争は凄惨を極めた。有名な“白虎隊の悲劇”だけでなく、婦女子も巻き込まれた攻城戦で、兵力の三分の一にあたる約3000人が死亡。さらに降伏後も、戦死した会津藩士の遺体の埋葬を1年間も許されず、藩士とその家族1万7000人余りが斗南(現在の青森県むつ市)に強制移住させられ、飢えと寒さで死者が続出する辛酸をなめた。  その福島県民の憎しみは、鹿児島県や高知県には向かず、なぜか山口県にだけ一身に注がれている。それは、1877年(明治10年)に薩摩の西郷隆盛が鹿児島県士族を率いて反乱した西南戦争で、元会津藩家老の佐川官兵衛を中心とする会津人部隊が活躍して鎮圧したことで“敵を取った”から。そして、会津戦争で新政府軍の指揮を執った土佐の板垣退助は、後に自由民権運動で薩長を中心とする藩閥政府に対抗したことで“同志”となったということらしい。
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俳優・西田敏行もその確執について語る
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