過日、財界のとある人物に会った時、この「日本から見たイギリスの民主主義」について、興味深い話を聞いた。曰く、「チャーチルは、『選挙に出る人間は、誰であれ、名声を欲しがり、権力を欲しがる、ろくでなしばかりだ』といった」という。さらに、「イギリスの小中学校では、選挙リテラシーについての授業がある。そこで教えられるのは、『選挙には必ず、情勢報道がある。その報道で、当選最有力と伝えられる候補でよければ、棄権するのも構わない。しかし、その候補が嫌だと思えば、2位につける候補に投票すればいい』と、教える」とも語ってくれた。
チャーチルが本当にそんなことを言ったのか、イギリスでそのような授業が実際に行われているか、裏はとれなかったが、チャーチルであれば、言いそうなことであり、彼の国の教育ならありそうなことではある。
同時に、
『選挙に出るのはろくでなしばかりだ』という教えと、
『情勢報道で当選最有力と伝えられる候補が嫌であれば、2位につける候補に投票すれば良い』という教えは、今の日本にも極めて有効だとも思った。無党派とはすなわち、「積極的に支持したい候補や政党がない」という状態のことだ。その無党派が圧倒的大多数を占めているからこそ、選挙の投票率が上がらない。低投票率の結果、ろくでもない連中が何のチェックも受けず政界に居座る。その結果、さらに有権者の選挙離れが起き、投票率が下がる……という悪循環に今の日本は陥っている。
だがこの悪循環の大元は、「投票用紙には、支持する人物の名前を書かねばならない」という思い込みから発生している。この思い込みを、「ろくでもない奴の中からよりマシなろくでなしを選ぶ」「当選しそうなろくでなしが嫌ならば、次点のろくでなしに投票する」と転換すれば、投票は随分と気楽なものとなる。