山の上ホテル公式HP
「東京の真中にかういふ静かな宿があるとは思はなかつた。設備も清潔を極め、サービスもまだ少し素人つぽい処が実にいい。ねがはくは、ここが有名になりすぎたり、はやりすぎたりしませんやうに」三島由紀夫もそのように語った
山の上ホテルは1954年の創業で、表通りから奥まった神田駿河台の高台にあります。
5分ほど歩けば、神田神保町書店街が広がり、集英社や小学館、少し足を延ばせば新潮社といった出版社が多数ある立地の良さから、作家が滞在したり缶詰になったりする定宿として有名で、三島以外にも、川端康成、池波正太郎、山口瞳、檀一雄、吉行淳之介、松本清張、井上靖、小林秀雄、五味康祐、田辺聖子、伊集院静……等々数え切れないのほどの有名な作家が利用しています。
ちなみに、檀一雄の代表作『火宅の人』は舞台女優・入江杏子と愛人関係になった後の生活と破局を描いた作品ですが、その同棲生活の舞台が山の上ホテルです。また、多くの作家が利用するうちに「芥川賞、直木賞を受賞した次の作品を山の上ホテルで執筆するとヒットする」といったジンクスも生まれるなど、まさに「文人の宿」ですね。
山の上ホテルといえば、日本におけるクラシックホテルのひとつともいえるわけですが、そのシンボルとも言える鉄筋コンクリート建築の旧館は、アール・デコ調のクラシカルな内外装が特徴的です。こちらは、元々1936年に佐藤慶太郎の寄付を基に建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により「佐藤新興生活館」として建築されたものでした。
この佐藤は当時「石炭王」の一人として知られた経営者でしたが「富んだまま死ぬのは不名誉なことだ(実業家カーネーギーの言葉)」を信条として、事業の成功後は私財を投げ打って社会貢献活動に努めた人物です。例えば、岡倉天心や横山大観らの明治以来の日本美術界の悲願「東京府(都)美術館」が実現したのも、佐藤の寄付100万円(現在の30億円以上)が基になっています。
また、建築家のメレルは米国出身で、日本で数多くの西洋建築を手掛けていますが、ヴォーリズ合名会社(後の近江兄弟社)の設立者の一人として「メンソレータム」を広く普及させた実業家でもあり、終戦後にマッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力した「天皇を守ったアメリカ人」でもあります。ちなみにアニメ「けいおん!」の桜が丘高校のモデル「東洋一の小学校」
豊郷小学校もメレルの設計です。