お金よりも嬉しかったことは、「十何年ぶりにホッとした」こと
順風満帆に見えるウーバー配達員キャリアだが、きついこともあった。
「最初の頃は、配達しながら泣いていた。なんで俺、こんな所にいるんだろう。バイクに乗って何しているんだろう。何でこんな人生歩んでいるんだろう、と涙が出てた」と41歳にして、たった1人の社会復帰を始めた当初を振り返る。
ひきこもり時代には、周りから
「もうこんな歳になって、取り返しがつかない」と言われてきた。通っていた居場所の元ひきこもり当事者には
「お前みたいに、努力しようともしない人間を見ているとイライラする」と罵られたこともあったという。
「自分では、小さなことでもポジティブに考えられるようになったり、外に出るようになったり、少しずつ良くなってきたと思う。でも周りから見れば働いていないし何も変わっていないんだよな」。当時はIさんが“自分なりに”頑張っていても、周りから認められることはなかった。
Iさんは言う。
「今回のことで自分なりの頑張りがお金という形になって、十何年ぶりに安心した。自分でもこれだけできるんだ。周りの言う通りじゃなかった」。
もう一つ嬉しかったことがある。Iさんは人生で初めて、親の扶養ではなく自分自身の保険証を持てたのだ。
「親父の思いに応えられた。もちろん頑張ったのは、親父のためでなく、自分のためだけど」。
「ひきこもりじゃなかったら、教えてくれる誰かがいたのかな」
原付バイクだからこそ稼げている。「体力がないので、自転車では無理」
今やってみたいと思っていることは、自分と同じような人のウーバー参入を手伝うことだという。
「もしひきこもりの人がウーバーをやってみたいと思っていたら、やり方を教えてあげたい。もちろんライバルが増えるから、僕のエリア以外で1人か2人くらい。その報酬は、稼いだお金で飯をおごってくれたらそれでいい」
Iさんはこう続ける。
「最初の頃、一緒にやってくれる人がほしかった。やっぱり1人はハードルが高い。以前、2人組の配達員がいて、片方の人がもう片方の人にいろいろとアドバイスしてるのを見た。それを見てうらやましいなあと思って。自分もひきこもりじゃなかったら、教えてくれる人がいたのかな」と、自分がほしかった“スタート時の伴走者”になってあげたいと言う。