立憲民主党の松原仁さんが、有本香さんと対談されたそうな。
公職者がネトウヨ論客と同席する小っ恥ずかしさについては、もういろんな人が書いておられるであろうから、ここではおく。
それよりも私は、松原仁さんの今回のマニューバーを許容する、
立憲民主党のマーケティングセンスの無さについて、触れておきたい。
新自由クラブ(ああ懐かしい)を振り出しに、自民党、民主党、希望の党と経めぐって、希望の党雲散霧消後は無所属となり、昨年立憲民主党に参加し当選7回を数えるという松原さんの有為転変波乱万丈なご経歴からは、
「流行り物に飛びつく!」「テレビに映る方に行く!」というご信条が垣間見れて香ばしい。まともな人ならこんなミーハー政治家は唾棄の対象だろう。しかし、テレビタックルに出た政治家がもてはやされたり、迷惑系YouTuberが議員になるのが現実なわけで、松原さんをそういう
軽薄短小民主主義の申し子と思えば可愛くもあり微笑ましくもある。
一方、このご経歴からは、松原さんをいわゆる「旧民社系の政治家」と括るわけにもいかないことも理解できる。確かに松原さんは一時期、民社協会に所属しておられた。が、希望の党騒動の後、民社協会の受け皿となった国民民主党にお行きにならなかった。つまり、松原さんは、富士社会教育センターのあのキモチ悪さとか、元在特会の事務局長である山本優美子を機関紙のグラビアに使う頭の悪さとか、反共一辺倒で共産党と組むなら選挙に負けた方がいいとさえ思っているようなあのファナティックさとは無縁だということである。
やはり、松原さんは、単に、「テレビに映る方」「流行ってる方」に行きたがる人だというだけなのだろう。
ただし、そのキャリアのスタートが新自由クラブであったことが言い尽くしているように、松原さんは
「何が流行っているか」を常に見誤られるのだ。
おそらく、松原さんは
オワコンコレクターなのだろう。だから今回、ネトウヨ言論人に飛びついた。もはやネトウヨとはオワコンなのである。いやもっというと、ネトウヨが実社会で流行ったことなどないのだ。ネトウヨ層がそれなりに社会的なクラスタとしての規模を有している(いた)のであれば、「日本のこころ」の中山恭子さんは、今頃、外務大臣ぐらいはやってるだろうし、愛知リコール署名は高須さん達が偽造に手を染めるまでもなく成立していたはずではないか。心と頭のか弱い彼・彼女らネトウヨの声が「大きく」見えるのは、
ネットという拡声器と、産経新聞という増幅器のなせる技にすぎないのだ。こんなこと、本来であれば我々物書き風情に言われなくても、プロなら先刻承知のはずである。参院比例での票の出方を見れば、純然たるネトウヨ票は、そこいらの労働組合や産別の足元にも及ばないのははっきりしているではないか。
さらに松原さんは、
ネトウヨクラスタが属人的な判断を下すという点を見落としておられる。先ほど中山恭子がもはや居なくなってしまっていることを指摘したが、つまりはそういうことである。必死に拉致被害者に寄り添う中山恭子より、
選挙のためだけに拉致を利用する安倍晋三の方が彼・彼女たちネトウヨにとってはウエルカムなのだ。社会全体から見ればケシ粒のような規模しかないネトウヨクラスタは、心と頭が不自由なため、「何が語られているか」ではなく「誰が語っているか」で判断してしまうのだ。松原さんがどんなに熱心にウイグル問題に取り組もうとも、立憲民主党が党ぐるみで血眼になって中国共産党を糾弾しようとも、立憲民主党である限り、ネトウヨクラスタは見向きもしない。