―― 小説を読む読者の多くが兵隊側の人間のはずですが、なぜリーダーの目線で世の中を見た司馬の小説が受けたのでしょうか。
佐高 小説じゃなくて擬似歴史として読んでいるんでしょう。「
私だけが知っている本当の歴史の話をしてあげよう」という語りにみんなやられてしまう。史実と物語がごちゃまぜになっていて、歴史学者の色川大吉さんはこれをすごく批判しています。
知識を詰め込むことが習い性になっている受験エリートほど司馬に引っかかる。知識というのは知っていることが大事なんじゃなくて、判断することの材料のはずです。しかし、司馬の小説の読者は「知っていることがいいことだ」となってしまっている人が多いと思います。
私は経済誌の記者だったので何人もの経営者を見てきました。愛読書に司馬遼太郎をあげる経営者は多かったですが、「ああ、あいつが愛読書としてあげるんなら、司馬遼太郎ってのはろくなもんじゃないな」と逆に思いましたね(笑)。
政治家なら小渕恵三元首相や竹下登元首相が司馬シンパでした。小渕さんなんて実際に司馬遼太郎に会いに行ってましたから。政治家や経営者にとってのお守りみたいなものなんでしょう。司馬遼太郎が好きだと言っていれば、自分も名将になった気分になれる。そして、そうした有力者からのすり寄りを司馬自身も拒否しなかった。
井上ひさしさんと司馬を巡って激論したことがあります。井上さんは「藤沢周平も司馬遼太郎も両方いい」と言うから、「私はそれはおかしい、二人は全然違う」と言って大激論しました。井上さんは苦い顔をしていましたね。
―― 司馬遼太郎はエンタメ作家のはずでしたが、いつから教養小説のように扱われるようになったんですか?
佐高 直木賞を獲った『
梟の城』の頃は忍者モノでエンタメ作家という位置づけだったと思います。しかし、そこは新聞記者としての嗅覚が働いて、エンタメ作家路線よりも歴史小説の大家という路線がいいと思ったんじゃないでしょうか。文芸誌より『プレジデント』みたいな経営誌に載っている人になっていったということですね。それで経営者に好かれるわけです。
―― 90年代の時点で政治家や経営者が司馬遼太郎を読んで元気を出していたわけですが、あれから20年経って、司馬遼太郎すら読んでいない人が増えています。今、司馬遼太郎がいた位置には誰がいるんでしょうか?
佐高 政治家や経営者の質も下がっているから、百田尚樹さんとか櫻井よしこさんとかになっちゃうんでしょう。人間の質も作品の質も下がっていますね。
―― 小説で歴史を学ぶという態度は司馬遼太郎からですか?
佐高 そういうわけではありませんが、歴史物語にある種の人工甘味料を入れて、読みやすくしたのは司馬遼太郎からでしょう。それまでの長谷川伸の『
相楽総三とその同志』や江馬修の『
山の民』は面白いけれどもそう簡単には読めません。