「天井を見ているだけで忙しい」アーティスト田島ハルコが語るコロナ禍と自己の流動性
田島ハルコは、ニューウェーブギャルラッパー/トラックメイカーを自称するアーティストだ。幼少期に見てきた2000年代のカルチャーなどをサンプリングし、「ニューウェーブギャル」というある種のイメージを、社会状況に対する鋭い批評性とともにアウトプットしてきた。
たとえば「性別容姿人種国籍関係ない くだらない」とルッキズムやレイシズムに強烈なディスをかます「ちふれGANG」など、いまも続くコロナ禍のなかでの数々の曲が人びとに衝撃と共感を与えたことは記憶に新しい。音楽やアートの世界でフェミニズムアイコン的な注目を集めつつあるようにも思えるが、それだけに止まらないというか、一筋縄ではない存在でもある。
そんな田島ハルコにその表現活動の「これまで」と「これから」、バックボーンとしてあるものはなにかを聞いた。
あくまでもパーソナルなものを表現していた
「田島ハルコならこう言ってくれるだろ」みたいな雰囲気
人びとが思っていて、けれども言葉にできなかったようなことや感覚を的確に表現したがゆえの反響でもあったのだろうが……。
田島:ロールモデル的な立場が、ただの一個人でしかない自分に期待されそうになるとまあまあしんどくなるんだな、と。多くの人ができるのにやらないこと、というのはそういうことなのかな、みたいな気持ちにもなってしまいました。とりあえず、時代のペースみたいなものに距離を置きたくなっちゃって、なんかもっと、自分のやるべきことって違うんじゃないかなというか。
で、自分自身は実はかなり弱っている状態なんだけど、SNSから離れて作品だけ作っていればこれまでの「強い」アーティストイメージとの乖離もさほど起こらないし、というようなことも考えて。パーソナルなことを直接的に言わないからといって、パーソナリティが現れてこないわけじゃない。純粋にやりたいことをやっていたら、この人って面白いな、となると思うから、今はそういうのをやりたいというか。自己満足といえばそうなんだけど、基本的にはポップで批評性のあることがやりたくて、それである程度みんなに響くならいいというのは変わらないですね。
それで、せっかく時間やお金をかけてやるんだったら、それなりの反響も得たいです。(自分が参加しているユニット)Zoomgalsなんかは基本何を打っても(受け手の)反応が帰ってくる感じでありがたいし、精神衛生的によかったです。自分がいい、と言っているものをほかの人もいい、と言ってくれる感じで。でも、Zoomgalsだって別に正義の味方というわけではないから、ただの悪い女子校ノリ、というか、そういうのに批評性が機能しているうちはこれっていいよね、という感じのものであって欲しいかな。なんでも全肯定されなきゃいけないというあり方は怖いなと。
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