新書大賞受賞が決まった斎藤氏の著書『人新生の「資本論」
佐々木 『
人新世の「資本論」』(集英社新書)がベストセラーになるなど、斎藤さんはいま注目の経済思想家です。カール・マルクスのエコロジー思想を論じた著作で権威あるドイッチャー記念賞を受賞し、6か国で翻訳されるなど世界を舞台に活躍されています。
斎藤さんが注目を浴びているのは、経済学の主流の新古典派経済学ではなく、マルクス経済学の立場から地球温暖化をはじめとする環境問題や労働の問題に切り込み、しかも的確な問題提起と現状分析をしているからではないかと思います。
斎藤 ありがとうございます。人類の経済活動、すなわち資本主義が地球を破壊する「人新世」の時代だからこそ、資本主義を批判的に分析する必要があると思って書きました。
佐々木 『人新世の「資本論」』を読んで、真っ先に頭に浮かんだのは宇沢弘文のことでした。
斎藤 日本人で最もノーベル経済学賞に近かったと言われる、あの宇沢さんですね。「宇沢を思い出した。宇沢の影響を受けているのか」と、最近聞かれることが多いです。実は、私自身はあまり意識してこなかったのですが。
佐々木 私は取材がきっかけで宇沢先生の研究会に参加するようになり、亡くなるまで10年ほど教えを受けました。途中からインタビュアーとして話を聞くようになり、評伝『
資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(講談社)を著しました。宇沢は新古典派経済学で数々の業績を挙げた数理経済学者ですが、斎藤さんの著書を読むと、もちろんアプローチは異なりますが、ふたりの関心領域は重なっているのではないかという印象を持ちました。
佐々木実氏による評伝『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』
たとえば、『人新世の「資本論」』冒頭で、気候変動の研究でノーベル経済学賞を受賞したウィリアム・ノードハウスを斎藤さんは鋭く批判していますね。地球温暖化を防ぐために最適な二酸化炭素削減率を30年前に算出した、この問題に最も早く取り組んだ経済学者だけれど、その際、彼はあまり高い削減目標を掲げると経済成長を阻害するとも主張していた。実質的に何も気候変動対策をしないことが最適解だと主張していたに等しいというのが斎藤さんの批判です。
実はノードハウスは若いころ、宇沢がシカゴ大学で主催したワークショップに参加していました。宇沢も最も早く地球温暖化問題に取り組んだひとりですが、教え子でもあるノードハウスには批判的でした。主な理由は斎藤さんと同様、経済成長を重視しすぎるという点でした。これは、宇沢が〝新古典派経済学〟の枠におさまりきれない経済学者だったことを物語るエピソードでもあります。
斎藤 宇沢が晩年気候変動問題について取り組んでいたのは知っていましたが、ノードハウスの話は佐々木さんの本を読むまで知らなくて驚きました。
佐々木 晩年の宇沢は、自分の思想や学問を若い世代に伝えたいという思いを強く持っていました。存命なら、斎藤さんにも大いに語っただろうと思いますよ。
そもそも数学者を目指していた宇沢が経済学者に転身するきっかけはマルクス経済学との出会いでした。有名な「宇沢二部門成長モデル」は『資本論』の再生産表式を数学的に定式化する試みだったとも証言しています。
宇沢にとってマルクスは重要な経済学者だったわけですが、宇沢より60歳ほども若い斎藤さんがマルクスに関心を持つきっかけは何だったのですか。
斎藤 マルクスは大学時代から読んでいましたが、修士までは主にドイツ観念論の論文を書いていました。一つの大きな転機となったのは福島原発事故です。私は、ベルリンの大学院の修士課程だったのですが、この事故を受けて、反原発運動にも関わる中で、人間と自然の関係、とりわけ自然の側にもっと目を向けなければならないという意識が強まりました。
ちょうどそのころ、私はマルクスの新資料の編集作業に関わることになり、その眠っていた新資料を読み解くことで、晩年のマルクスがエコロジーを重視していたことに気がついて、それを博士論文にまとめました。
ただ、「実はマルクスは環境問題に関心がありました」と言うのでは、単に文献の新解釈を打ち出すだけで終わってしまいます。マルクスが言っていたように、理論は変革のために役立つものを目指さねばなりません。『人新世の「資本論」』は、マルクスの理論を現代に活かそうとする試みでした。
時代がマルクスを求めるようになっていると感じています。昨今では格差や貧困が拡大し、マルクスの問題提起が受け入れやすい時代になっています。その上、気候変動など環境危機の悪化は、利潤追求をやめることがない資本主義に原因があることははっきりしています。やはり現実の問題に向き合う研究をしたいと思っています。