佐々木 格差問題の研究を牽引するひとりにフランスの経済学者トマ・ピケティがいますね。斎藤さんは著書で、ピケティはいまや社会主義を掲げるようになっていると述べていますが本当ですか。
斎藤 そうなんですよ。ピケティは『
21世紀の資本』(みすず書房)で行きすぎた経済格差を批判し、累進性の強い課税によって格差を是正することを提唱しました。しかし、これは資本主義に対する中途半端な批判にすぎず、抜本的な解決にならないと見られていました。
ところが、ピケティは2019年刊行の新著『
資本とイデオロギー』(未邦訳)で、資本主義を飼いならすのではなく、社会主義への転換が必要だと明言するようになりました。社会民主主義政党が労働者階級を見捨て、インテリの富裕層重視になっていると批判し、こうした姿勢が右派ポピュリズムの台頭を許していると述べています。
ピケティは意識的に社会主義という言葉を使うことで、左派が誰の苦しみと向き合わなければならないかを思い出させようとしているのだと思います。ここには、ピケティの社会主義者への転向があります。
これはピケティに限った話ではありません。最近はジャーナリストのナオミ・クラインも社会主義という言葉を使うようになっています。わざわざ社会主義とまで言わずとも、たとえば「脱成長」や「ポスト成長」と言ってもいいはずなのに、そうはしないわけです。
おそらく、彼らは社会主義という言葉を使っても、もはや読者にネガティブな印象を与えないと感じているのだと思います。あるいは、社会主義という言葉を使わなければ日和見と見られてしまうと考えているのかもしれません。彼らのようなベストセラー作家は社会の風潮を読みとることに長けていますから、肌感覚として社会主義が受け入れられる雰囲気を感じとっているのだと思います。
佐々木 斎藤さんも「脱成長コミュニズム」を唱え、資本主義からの体制転換を掲げていますね。「現実的でない」と批判されることも少なくないと思いますが、資本主義からの転換を具体的にどのようにイメージしていますか。
斎藤 資本主義とは結局のところ利潤を無限に追求していくシステムで、その犠牲になるのが労働者と自然です。それゆえ、資本主義からの体制転換を実現するには、利潤追求原理を相対化し、スローダウンさせる必要があります。
そのための手段として考えられるのが、たとえばワーカーズ・コープ(労働者協同組合)です。日本でも先の臨時国会で労働者協同組合法が成立しましたが、ワーカーズ・コープとは、労働者がみなで出資し、経営し、労働する協同組合のことです。どのような仕事を行い、どのような方針で実施するかも、労働者たちが話し合いを通じて主体的に決定します。これが可能なのは、ワーカーズ・コープが社長や株主の私有ではなく、かといって国営企業でもなく、労働者たち自身による社会的所有だからです。
ワーカーズ・コープの歴史は古く、マルクスもワーカーズ・コープの試みを高く評価していました。日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、実は40年近く前から介護や保育、林業、農業、清掃などの分野でワーカーズ・コープの活動が行われています。アメリカでもワーカーズ・コープの発展はめざましく、住宅やエネルギー、食料、清掃などの分野にまで広がっています。
また、具体的な政策としては、民営化された水道を再公営化することや、農産物の種子を市場原理にさらすことをやめ、みんなで管理していくことも考えられます。
重要なことは、水や電力、住居、医療、教育などを〈コモン〉=公共財・共有財として、自分たちで民主主義的に管理することです。市場原理主義のようにあらゆるものを商品化するのではなく、ソ連のようにあらゆるものを国有化するのでもない、第三の道を目指すことです。
これこそマルクスが言っていたコミュニズムです。マルクスは生産者たちが生産手段を〈コモン〉として、共同で管理・運営する社会のことをコミュニズムと呼んでいました。コミュニズムと言うとすぐにソ連に結びつけられてしまいますが、本来のコミュニズムはソ連とはまったく違うものなのです。
佐々木 斎藤さんの話を聞いていると、宇沢が唱えた「社会的共通資本」の考えときわめて類似しているように思えますね。宇沢が唱えた社会的共通資本の重要な構成要素は「自然環境」(大気、森林、河川、水、土壌など)、「社会的インフラストラクチャー」(道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど)、「制度資本」(教育、医療、司法、金融など)です。
これらはいわば市場経済の土台であり、安定的に供給されなければ市場経済はうまく機能しない。社会的共通資本を市場原理のみに委ねてならないのは、ひとりひとりの「市民の基本的権利」を充足するために必要不可欠だからです。「社会的共通資本の経済学はリベラリズムの理念に基づく」とも宇沢は表現しました。
斎藤 宇沢との大きな違いは、ソ連を前にして、彼が資本主義そのものの超克を訴えずに、市場経済を前提にしていた点でしょう。いわば、社会的共通資本は馴致された資本主義のための基盤である一方、私はポスト資本主義の基礎として〈コモン〉を捉えているところでしょうか。
とはいえ、実際には、社会的共通資本の領域をどんどん広げていけば、やはり資本主義の超克につながると思います。気候変動問題にも向き合った晩年の宇沢は、J・S・ミルの定常経済を成熟した社会の姿として論じていましたが、それは資本主義のもとでの無限の経済成長とは決して相容れないものです。
佐々木 環境問題は特に分野横断的な取り組みが求められますね。かつて水俣病の問題には、宇沢や宮本ら経済学者のほかに化学者の宇井純氏、医師の原田正純氏、文学者の石牟礼道子氏など多士済々が集った。問題があまりに巨大で深刻であったがゆえ、それと格闘した人の研究や作品も訴求力を持ち得たのだと思います。
地球的課題である気候変動問題でも専門領域に閉じこもることなく、学際的なアプローチが必要ではないでしょうか。現実と正面から向き合うことで新たな学問や思想も生まれてくるのではないかと思います。
斎藤 そう思います。私は何もマルクスを正当化するために気候変動問題に取り組んでいるわけではないので、様々な分野の専門家たちがそれぞれの視点に基づき議論してくれることは大歓迎です。
特に自然科学者たちにはもう一歩前に出てきてもらいたいと思っています。科学者たちは「二酸化炭素がこれだけ排出されると、気温が何度上がります」とは言いますが、「だから二酸化炭素の排出を抑えるために経済活動を抑制しなければならない」とまでは言いません。みんなで一緒に地球の未来を考えられるように、彼らにもそこまで踏み込んでもらいたいのです。
(12月9日、構成 中村友哉)
ささきみのる●日本経済新聞社記者を経て、95年からフリーランスのジャーナリストとして活動中。著書『
市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の実像』(講談社)で、第45回大宅壮一ノンフィクション賞と第12回新潮ドキュメント賞をダブル受賞
さいとうこうへい● 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前』)によって、2018年度ドイッチャー記念賞を日本人初、歴代最年少受賞。ベストセラー『
未来への大分岐』(集英社新書)では、マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソンら、欧米の一流の知識人と現代の危機について議論を重ねた。さらに、2月10日、『
人新世の「資本論」』(集英社新書)では、歴代最年少で新書大賞を受賞が決定した
<記事提供/
月刊日本2020年2月号>