©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
元受刑者の半生を描いた佐木隆三『身分帳』(講談社)を原案にした西川美和監督作品
『すばらしき世界』が全国で公開中である。
刑期を終え、13年振りに塀の外の世界へ出た三上正夫(役所広司)。旭川刑務所を後にした三上は、身元引受人の弁護士・庄司(橋爪功)と妻の敦子(梶芽衣子)に迎えられ、庄司の自宅に身を寄せる。
その頃、テレビの制作会社を辞めたばかりの津乃田(仲野太賀)とやり手プロデューサーの吉澤(長澤まさみ)は、三上が刑務所で書き写した自身の事細かな生い立ちと犯罪歴を記載した「身分帳」をもとに、三上を番組のネタにしようと画策していた。
庄司夫婦のサポートの下、アパートの2階で一人暮らしを始めた三上。市役所のケースワーカーの井口やスーパーの店長の松本のアドバイスを受けて社会復帰の道を模索する中、津乃田と吉澤は三上を訪れ、番組出演の意義を言葉巧みに説き、三上をその気にさせるのだが――。
2002年の『蛇イチゴ』でデビューして以来、すべてオリジナル作品で撮り続けて来た西川監督が原案に選んだのは、元受刑者を描いたノンフィクション。無免許の医師が主人公の『ディア・ドクター』(‛09)、夫婦で結婚詐欺をする『夢売るふたり』(‘12)、不倫中に妻に先立たれた男の再生を描いた『永い言い訳』(‘16)など人情の機微や皮肉、ほろ苦さを描いてきた西川監督が、元受刑者という「はぐれ者」の視点で社会を正面から捉えた。
SNSによる有名人へのバッシング、自責の念に駆られるコロナの感染者などあらゆる側面で「社会の不寛容」が取り沙汰される今、人との関わり方、社会のあり方を考えさせられる秀作である。
西川監督が『身分帳』と出会ったのは佐木氏の訃報がきっかけだった。生前、佐木氏と親交のあった作家、古川薫さんの「佐木作品と言えば『復讐するは我にあり』だが、その真骨頂は『身分帳』にある」との記事を目にし、既に絶版となっていたためインターネットで古書を取り寄せたところ、読み始めた途端にページをめくる手が止まらなくなったという。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
主人公は13年間の獄中生活を経て刑務所を出所し、人生の再スタートを東京で切ろうとするが、切符を買うのも電車に乗るのもぎこちなく、そして何より働き口がない。物語になりやすいのは、殺人、戦争、災厄などの大惨事だが「大きな物語のその後」を丁寧に描いているところに惹かれたとのことだった。
そんな「大きな物語のその後」の舞台は『身分帳』では昭和の終わりである。同作の主人公・山川一は昭和16年生まれであり、昭和48年4月に逮捕され、昭和61年2月に刑期を終えて出所している。当時の日本には、インターネットはもちろんのこと、外国人労働者もいない。そして山川を描いたのは、作家・佐木隆三である(実在のモデルとなった受刑者田村明義氏と佐木氏の関係は昨年新たに刊行された『身分帳』(講談社)収録の「行路病死人」に詳しい)。
一方、令和の時代の映画の主人公・三上正夫の物語には、外国人労働者が登場し、その世界を切り取ろうとするのは制作会社を辞めたばかりのテレビマンの津乃田だ。津乃田はプロデューサーの吉澤からの依頼で、三上が母親と再会する感動のドキュメンタリーを撮るべく、三上と接触するようになる。しかし、次第に三上の人柄に惹かれ、「テレビ仕事」ではない立ち位置で三上を描こうと決意する。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
この様は『身分帳』の後日譚の「行路病死人」で描かれる佐木隆三と受刑者田村氏との関係のようだ。そこには作家とノンフィクションのモデルという関係を越えたつながりがあった。『身分帳』で描かれるのは、山川が社会に出て苦戦する様子だが、山川の真っ直ぐさや繊細さも行間から滲み出る。単なる取材対象ではない、佐木隆三の田村氏に対する温かな眼差しが感じられるのだ。そして、映画でも最初は恐れているものの、終盤では作家として生きていく決意をした津乃田にとって、三上は単なる被写体以上の存在として描かれる。
「作家佐木隆三、西川監督、津乃田は取材者として重なり合うか?」という質問に対して西川監督は、津乃田は自身の分身ではないとした上で、三上と観客とを近付ける水先案内人のような役割であると語っている。すぐにカッとなる三上は狂っているわけではなく、「人間らしさ」がむき出しになるキャラクター。
そのことを津乃田の三上に対する接し方で伝えたかったとのことだが、その演出は成功している。ある時は暴力を振るったかと思えば、ある時には子どもたちの前で優しさを見せる。そのすべては矛盾するものではないということが、津乃田の視点を通して観客には伝わって来るのだ。