身元引受人の弁護士、庄司は出所後の三上を自宅に招き入れる。そして、市役所のケースワーカー井口やスーパーの店長の松本も真っ直ぐ過ぎてカッとなる三上をなだめながら、三上の社会復帰に尽力する。彼らの人物の描き方が魅力的だ。弁護士の庄司はさておき、井口は市役所の職員、松本は町内会の会長であり、三上の面倒を親身にみる義務があると言えるほどの立場でもない。そして、何より井口には役所のルールがあり、店長の松本にも家庭人としての顔がある。にもかかわらず、自分の置かれている立場を越えて三上の身を案じようとするのだ。
そしてそれは、「元受刑者の更生保護」という建前ではなく、三上自身に真っ直ぐさがあるからだということが、三上の立ち振る舞いから徐々に観客に伝わって来る。
西川美和監督
一方、周囲を魅了する人間的な魅力を持つ三上が犯罪者として何回も刑務所に入れられてしまったのはなぜか。そのことも映画は問いかける。理不尽が許せない三上はカッとなるとすぐに手を上げてしまう。しかしそれは彼にとっては「困った人を助けた」という行為なのだ。
確かに暴力は良くない。しかし、面倒くさいからと言って通り過ぎることが果たして最善の生き方なのだろうか。そもそも、三上が長く刑務所に入っていたのは、日本刀を持って因縁をつけて来たチンピラから妻を守ろうとして相手を刺してしまったからだった。
違法なのは三上である。しかし本当の意味で「正しい」のは誰なのかと。そして、そのジレンマに直面した時、人間はどのようにしてそれを乗り越えればいいのかをも映画は示唆している。三上のように真っ向から歯向かうことはない。理不尽に直面した時には深呼吸し、時には逃げることも必要なのだと。
出所後の三上は母親を探している。しかし、物語が進むにつれ、三上の身を案じる人すべてが「三上の母」なのではと思えてくる。
『身分帳』では久しぶりに連絡を取った元妻が「イッちゃん(山川一なので元妻は山川をこのように呼んでいる)は私のことを‶お母さん″と思いなさい」と山川に言う。映画にこのような表現はないが、代わりに弁護士の庄司、ケースワーカーの井口、スーパーの店長の松本、取材者の津乃田以外にも三上の身を案じ、まさに母親代わりになるような人間が登場する。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
幼くして孤児院に入れられ、母親を知らない三上。しかし、三上は母親を探す過程で、多くの人たちに助けられ、母親のような役割を果たしてもらうことで徐々に社会に役割を見出していく。
そして、物語の終盤、周囲のサポートによって母親からの愛情を取り戻したかのような三上はついに津乃田の父親のような存在になる。津乃田を演じた仲野太賀は「最初は取材対象者であるが、やがて友人となり、次第に父のような存在へと関係性が変わっていくこと」を意識したというが、その変遷は津乃田の三上への眼差しに見ることができる。また、三上と津乃田の関係性の変遷は「助けることで助けられる」「助けることで何かをもらう」という人間社会の普遍をも描き、映画に厚みを与えていると言えよう。