西川監督が主演を役所広司に依頼したのは、17歳の時に見たTVドラマ『実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期』(‘91)が忘れられなかったからだという。この作品で主人公の西口を演じた役所広司のあるシーンが西川監督を揺さぶり、「人間のわからなさを何かによって描いていく生き方」になると確信させたとのことだった。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
そして西口彰の人生を題材にした小説が『身分帳』と同じ原作者佐木隆三の『復讐するは我にあり』(講談社)だった。このことに気が付いた時、西川監督には【役所広司=西口彰=佐木隆三=身分帳】というラインがはっきりと見えたという。
映画を制作する過程は最新エッセイ『スクリーンが待っている』(小学館)に詳しいが、西川監督は、『身分帳』の担当編集者、田村氏が出演したラジオドキュメンタリーの制作者、身元引受人の妻のモデルになった方、そして田村氏が入っていたであろう児童養護施設などを訪れ、次々と人に会って話を聞き三上像を作り出そうとしている。
脚本は元暴力団員、外国人労働者、刑務官など約50名以上に話を聞き、3年を掛けて作ったというが、登場人物たちに対する細やかな愛情を感じるのはこうした生の声が反映された物語だからだろう。
西川監督は、先月末に行われた日本外国特派員協会の記者会見で「沢山の元服役者の方や更生を手助けしようとする方々の話を聞く中で、いかにやり直しがききづらい社会であるのかを感じた」とし、「システムを整える動きはあるが、失敗したり、レールを外れた人は二度と出てくるな、というような懲罰感情がどんどん高まってきているような風潮がある」と指摘。
そして「住む場所や仕事を得ることも大事であるが、人との繋がりが再犯を防ぐブレーキになるという話が心に残った。人との心のつながりやサポートのあり方を残せるような映画にしたかった」と述べている。
©佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
劇中の吉澤はある現場を目撃した津乃田に対して「割って入って助けるか。それとも伝えるか。そうでなければ誰も助けられない」と怒鳴る。誰しも「割って入って助ける」ことは難しい。しかし、この作品は、生の声を物語に昇華し、人とのつながりの大切さを「伝える」ことに成功している。
「犯罪は人間の闇の部分である。そして闇とは何かを学び、何かを教えてくれるものである」とした佐木隆三は、犯罪を題材に優れた作品を世に送り出した。また、西川監督の師匠の是枝裕和監督も「事件には世の中が映る」とし、実在の事件をモチーフに映画を撮り続けている。まさに犯罪がテーマの『万引き家族』でカンヌ国際映画祭の最高峰、パルムドールを手にしたことは周知のとおりだ。
そして、他ならぬ佐木隆三の代表作である今村昌平監督作品『復讐するは我にあり』(‘79)で、主人公の殺人犯榎津(緒形拳)と殺人罪で服役していたひさ乃(清川虹子)が、「世の中は変わった。娑婆(シャバ)は狂っている」と語り合うシーンがある。
本当に狂っているのは何か――。
『すばらしき世界』を見ている間、何度もそう思わされた。今こそ、観客である私たちは歴代作家たちが紡ぎ出して来たそのメッセージに耳を傾けるべきではないか。インターネットが普及して便利になる一方、新たな摩擦も生み出している現代社会。コロナ禍の今、息苦しさを感じているのは『復讐するは~』が封切られた1970年代の終わり以上であろう。
佐木隆三作品のエッセンスをそのままに、西川監督が令和の時代に放つメッセージは、当時より一層リアルなものとなった。少しでも多くの人が本作を見てそのことに思いをはせることで、世にはびこる不寛容さが和らぐことを願いたい。
<文/熊野雅恵>
くまのまさえ ライター、クリエイターズサポート行政書士法務事務所・代表行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、自主映画の宣伝や書籍の企画にも関わる。