グレーバーが示したオルタナティブの可能性<デビッド・グレーバー追悼対談:酒井隆史×矢部史郎>

可能性を膨らませる

酒井 それこそユートピア的経験とは真逆のものだよね。  警察や警察的なものとか、国家なんかなしで、要するにリヴァイアサン的な発想をしないでやっていける、という確信を持てるような契機って、人類はもともと普遍的に持っているはずなのだけれども、ところが「たいした意味はない」とか「限定された経験だ」とか、そんなふうに囲いこまれてしまって、それを膨らませられなくなっている。  でも、それを膨らますことができるひとが稀にいる。そういったひとをアナキストというんだろうけど、そういうのってよくわかる。なぜかっていうと、自分の好きな思想家やひとって、だいたいそういう、膨らますような発想をするひとだから。たとえば谷川雁とか(思想家の)ヴァルター・ベンヤミンのように、日常的な経験を軽くみないで、生活の卑俗な一コマからとてつもなく思想を膨らますことができる。  だから、というか、そういうところでグレーバーも出会った最初から好きなんだよね。だって、全面展開しているんだから。矢部くんとの対談でもいってるでしょう。「現実に存在する権力がどうしようもないということを教える必要はないのです。そんなことはみんな知っている。知りすぎていると思いますね(笑)。ひとびとを説得するのが難しいのは、本当のオルタナティヴが可能だということです。そしてそこに向かうために、状況を今よりも酷くする必要はないということが重要です。まず視点の問題として転換しなくてはいけないのは、現実にそういうオルタナティヴがこの世界にあることを伝え、それを理解してもらえるようにしなくてはいけないということです」。 矢部 『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』も、20年ぶりにあった昔の友人がぼやいているところから始まっている。かれは一時期、音楽をやっていたけど、結局企業の顧問弁護士になってしまった。  あの、自分が宙吊りになっている感覚というか、なんともいえない挫折感ね、挫折はしているけど一応の社会的地位とかサラリーはあって、でも埋められないなにかというか、埋める、っていう感覚自体がそもそも問題なんだけど、とにかくなにかがあって、あああ、これってほんとうにあああ、としか日本語ではいえないんだけど、でもあの感じを鋭敏に描写しながら、なおかつ全面展開できるのがグレーバーの強みというか。  で、そういう感覚に対して鋭敏であろうとするのがアナキストなんだよね。この感じ、わかってほしいなあ。というか、グレーバーのいう、「予示的政治」でもなんでもいいけど、そういう意識や感覚に対して、虚心坦懐というか、理論でも実践でも、開かれている、開こう、開いているぜ、と応じるのがアナキズムなんだけどね。 酒井 音楽をやっているひとが国際主義者であったりアナキストであったりする率が高いことに通じるものがあるとおもってて。 矢部 バンドなんかだとセッションというのがあって。ジャズとかも。 酒井 ジャズは指揮者がいなくてその場その場でやっていく。ある意味でそれはユートピアなんだよね。アナキズムの原理が実現している。むしろ、指示や指導があったりするとうまくいかなかったりする。そういった経験をユートピア的なものとして確信する、そこまでいくひとは少ないんだけど、それでもいることはいる。そういう発想のしかたが、自分の根幹になっている、というのがすごく好き。  いずれにしても、2020年、グレーバーは日本の言説空間でこれまでのほとんど抑え込まれていた感じを超えて読まれた。かねてより、グレーバーの数少ない反応のなかには、専門的読者をのぞけばサッカーの本田氏やサラリーマンのように一般読者があった。矢部くんとの対談でもいってるけどさ、2008年にグレーバーが来たとき、ちょっとしたショックなことをたくさんいったじゃない?  そのなかのひとつが、ふつうの労働者はニセモノのラディカリズムが嫌いなだけで、ホンモノのラディカリズムは好きだということなんだよね。「しかし労働者階級が嫌っているのは、本当のラディカリズムではなくて、ニセのラディカリズムが新自由主義に対抗しようとする仕草であって、本当のラディカリズムを嫌うわけがないと思います」というこれね。  聞くひとによってはそんなバカなとおもうかもしれないけど、自分は実体験からもよくわかるようにおもったんだよね。  でね、グレーバーのさっきいったような日本での独特の読まれ方って、この「ラディカリズム」に響いてるんだともおもうんだよね。へんに「良心的な」ひとほど、いろいろ知識がついたり、「見た目」とかの心配があったりして、恐怖につきまとわれ、なにか本質的な人間の願望とか欲求がみえなくなるというかさ。  だから、基本的に知識階級の受容はあんまり信用してないところがあるんだよね。グレーバーを読むということは、たぶん、知識階級のルールのなかで安心の問いを発し、安心の答えを与え、自分をスマートにみせる、といった態度をバカバカしくみせて、流行ではなくても、みずからの感じた問いを拾って、それを大きな問いに広げて、不器用でも一歩一歩、考えようとすることにあるとおもう。その意味で、ひとからふつうならバカバカしいとおもわれる発想をジグザグしながらつきとめていこうとする——そのぶん翻訳は大変だったけどさ——『ブルシット・ジョブ』は、すべてのそういう探求者にとっての手引きとなるとおもう。日本の「スマート」な知識人と比較して、こちらがエライとかクソみたいなこと、ほんとやめてほしいね。 【酒井隆史(さかい・たかし)】 大阪府立大学教授。社会思想。『通天閣 新・日本資本主義発達史』で第34回サントリー学芸賞受賞。著書に『自由論 現在性の系譜学(完全版)』『暴力の哲学』、訳書にD・グレーバー『官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(共訳)、『負債論 貨幣と暴力の5000年』(共訳)、マイク・デイヴィス『スラムの惑星』(共訳) 【矢部史郎(やぶ・しろう)】 愛知県春日井市在住。文筆・社会批評・現代思想。著書に『夢みる名古屋』、『3・12の思想』、『原子力都市』、『愛と暴力の現代思想』(共著)などがある。
フリーの編集・ライター。編集した書籍に『夢みる名古屋』(現代書館)、『乙女たちが愛した抒情画家 蕗谷虹児』(新評論)、『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館)、『原子力都市』(以文社)などがある。
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