グレーバーが示したオルタナティブの可能性<デビッド・グレーバー追悼対談:酒井隆史×矢部史郎>
ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の翻訳者である酒井隆史さん(大阪府立大教授)に、矢部史郎さんがお話を伺う。(本対談は全部で3部構成で、今回は第3回目。第1回、第2回)
(構成:福田慶太)
酒井 グレーバーは人類学で大きな業績をあげているけど、かれは自分がマルセル・モースに近いっていっていた。モースはフィールドワークをやってはいないけど、古典学者、文献学者、大知識人的な要素がある。いろんな文明のことを語って、それを比較するとか。
グレーバーはフィールドワークをちゃんとやっていたけど、モースのやり方に近いところがある。たとえば中国の哲学を引用したり、インドのヴェーダに言及するとか、哲学の起源を語ったりとか、言及先が幅広くて人類学のフレームを超えているところがある。
『負債論』(以文社)のキーワードは「基盤的コミュニズム」だけど、あれは実は、類似した多くの著作とかれの議論を分かつ決定的モメントなんだよね。「能力に応じて、必要に応じて」というコミュニズムの定式はマルクスらと共有しつつ、それをいつか実現すべき未来ではなく、この世界を構成する生地に変えてみせた。かれにかかれば、資本主義すら「コミュニズムのまずい組織化」の一例になる。
矢部 あれもこれも、とさまざまなものに触れ、語って、「基盤的コミュニズム」を見出すのがグレーバーのすごさとして、そのバックボーンにはあるものはなんだろう。
酒井 やっぱり強調しないとならないのは運動の力。たとえば、(メキシコ・チアパス州の)サパティスタの闘争。そもそも僕らだって、現代世界におけるネオリベラリズムについて、1980年代の中曽根改革を超えた重大な意味をもつことを知ったのは、サパティスタの反乱だった。グレーバーの最近の言説などから考えても、やっぱり、1990年代から現在に至るまで、サパティスタというのがどれほど影響が大きかったかということを実感する。
先住民と都市ゲリラが一緒になって、しかも先住民の知恵に学びつつ、過去の革命の苦い経験の反省のうえから権力の奪取という方法をとらず、苦しいなかで実際に自治を継続している。個人主義的、セクト主義的だったアナキストとは違う世代のアナキストたちが生まれたのも、いまさらながらサパティスタの蜂起の影響力は大きかったとおもう。コンセンサス、連合、水平性、いまここでコミュニズムを実現していくという指向性。
矢部くんとの対談を読むと、矢部くんがこういうことをいっている。「更に彼らが言っていたのは、この大晦日の蜂起(引用注:いわゆるサパティスタの蜂起とされているもの)は二回目の革命である。一回目は既に蜂起の前に自分たちの内部で起きていた。それは先住民の革命評議会の中で女性たちが発言をしたときなんだと。つまり、発言する、表現をする、見えなかったことが目の前に現れる、ということが運動にとってものすごく重要な要素になってきていると思います」。
先住民やフェミニズムが積み上げていったものを継承しながら発展させていくというような運動の流れがあり、グレーバーも人類学的な自分のフィールドが持つ意味をあらためて見出す。
世界的に著名な人類学者であり、活動家でもあったデヴィッド・グレーバーが昨年急逝した。グレーバーの功績とは?日本ではいかに読まれたのか?「紀伊国屋じんぶん大賞2021」第1位も獲得した、グレーバー『
基盤的コミュニズム
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