「非正規は世帯主に扶養されている女性」という架空の想定
今回の判決の大きな問題点は、日本の労働市場の問題点の解決をさらに遅らせてしまいかねないことだ。
原告敗訴については、コロナ禍の下で企業の紛争増加に配慮したのではとの見方もあり、判決でも、事情によっては不合理ということもありうると断っている。非正規への退職金や賞与はなくていいとしたものではないことは確かだ。
だが、会社の主観の重視の手法は、働き手の実態を覆い隠す機能を果たし、どんなに頑張っても待遇改善がない「身分としての非正規」を固定化しかねない。
日本の非正規の極端な待遇の低さは、「非正規は世帯主の夫に扶養されている女性」だから、低賃金でもセーフティネットが弱くても困らない、という架空の想定から来ている。だが実際には、非正規女性のうち「配偶者」は57.5%にすぎず(2014年、総務省『統計Today No.97』)、「配偶者」だとしても、男性の賃金水準の低下の中、その収入が家計を支える度合いは大幅に増している。
また、メトロ訴訟の法廷で会社側は「契約社員はセカンドキャリア」と主張し、原告らを「侮辱の上塗り」と激怒させた。原告らは、その仕事で生活を支え、販売業務の基幹労働力となってきたにもかかわらず、低賃金でも困らない引退後の働き手とされたからだ。
本来の同一労働同一賃金には、このような特定の労働者への偏見を突き崩し、仕事の価値に見合った評価を獲得できる「差別是正装置」が必要だ。
欧米では、企業横断型の産業別労組を通じ、どの労働者でも同じ仕事は同じ値段でなければ売らないという抵抗線を張ることで、賃金の切り崩しを防いだ。
また米国では1960年代に高揚した公民権運動などを背景に「女性やマイノリティの仕事は安くていい」とする賃金差別を防ぐため、第三者機関が職務を分析してその度合いを点数化することで異なる仕事の価値も比較できる「同一価値労働同一賃金」の手法が生み出された。それが欧州にも広がり、ILO推奨の職務分析評価として国際基準にもなっている。こうした点数化の仕組みがあれば、度合いの違いに沿った均衡待遇が容易になる。
今回の判決での均衡待遇無視について、メトロ訴訟で被告側意見書を書いた大内伸哉・神戸大教授は、(1)労契法20条には仕事を定量化する規定がないため、度合いに応じて待遇を決める均衡待遇は難しく、(2)そんな中で、「均衡待遇の実現は司法でなく当事者が交渉で決めていくべきだとするのが最高裁のメッセージだ」(2020年11月12日付
「日本経済新聞」)として、判決を評価している。
だがここでは、非正社員は「当事者交渉」が難しいからこそ司法救済を求める、という基本的な事実が忘れられている。非正規は短期雇用であるため、交渉を求めたり労組を結成したりすると次の契約を打ち切られてしまうハンディがある。司法はそんな中で、最後の砦なのだ。
とすれば、必要なことは、むしろILO型の国際的職務分析の導入を目指すことではないのか。日本でも2001年、男女賃金差別訴訟で専門家による客観的職務分析をもとに職務が異なる男女を比較し、原告女性が勝利した「京ガス事件」地裁判決の例もあり、不可能ではない。
また、欧米の例からもわかるように、同一労働同一賃金は個別企業の枠を超えた産業別労組による横断的な賃金決定方式の方が実現しやすい。「当事者交渉」を進めたいなら、そうした労組の結成を後押しする手もある。ところがいま、そうした産別労組の労働基本権を抑圧するかのような判断が司法によって出されつつある。
次回はその典型例としての「関西生コン事件」大阪・京都地裁判決の問題点について考えて行きたい。
<文/竹信三恵子>
たけのぶみえこ●ジャーナリスト・和光大学名誉教授。東京生まれ。1976年、朝日新聞社に入社。水戸支局、東京本社経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)、和光大学現代人間学部教授などを経て2019年4月から現職。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)、「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)、「ミボージン日記」(岩波書店)、「ルポ賃金差別」(ちくま新書)、「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)、「家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの」(岩波新書)、「正社員消滅」(朝日新書)、「企業ファースト化する日本~虚妄の働き方改革を問う」(岩波書店)など。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。