映画『新解釈・三國志』の“容姿いじり”はなぜ生まれたのか

 現在、映画『新解釈・三國志』が大ヒットしている。初日3日間だけで興行収入は約7億7000万円を超え、週末興行収入ランキングでは2週連続で『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』に次ぐ2位を記録した。  だが、SNSを中心に、本作の「容姿をいじるギャグ」が批判にさらされることになった。実際の本編を観ても、2020年の今に幅広い観客が観ることになる娯楽映画として、重大な問題があったというのが結論だ。以下に、具体的に記していこう。

渡辺直美に「時代考証的には美人」と言い放つ

 まず問題となるのは、佐藤二朗演じる董卓と、城田優演じる呂布の元へ絶世の美女を送り込んでそれぞれ誘惑し、仲違いをさせるという策略が企てられた後のことだ。  美女として呼ばれた渡辺直美演じる貂蝉に対して、劉備演じる大泉洋と周りの者たちは、“これが美人なワケがない”と戸惑うリアクションをとり続ける。「侍女は下がれ」などと言い捨てた後は、メタフィクション的に「いや、時代考証的には美人だ」と納得しようとし、その後も繰り返し「時代考証的には美人だよね?」と確認し合うのだ。  物語の流れだけを見れば、これはむしろルッキズムの問題に斬り込んでいるという解釈もできる。渡辺直美に対して容姿を蔑む側の浅ましさを描き、その間違いが劇中で断罪されたり、過ちに気づいたりするのであれば問題はなかっただろう。  また、この後にはとある大人気女優がシークレットゲストとして登場して「次は私が美人とされる時代に生まれ変わりたい」と言い、ナビゲーターの西田敏行が「女性問題で国が動くことはよくある」などと解説したりもする。  こうしたところを取り上げれば、「偉人でも美女には弱い」「そのために歴史が変わることもある」という事実をシニカルに描いている、という捉え方もできる。

貂蝉に一目惚れするのはありえない?

 だが、結局は渡辺直美が意味のないダンスを延々と続けたり、そんな彼女に一目惚れをする佐藤二朗や城田優を「ありえない」もののように描くといった、見た目を笑うようなギャグにしてしまっているのが問題だ。そんな短絡的な構図に堕しているようでは、とてもルッキズムの問題を真摯に考えているとは思えず、むしろルッキズムに加担しているような不快感を覚えてしまう。  そもそも、渡辺直美は短絡的な容姿の良し悪しのジャッジには左右されない、その圧倒的なパフォーマンスや唯一無二のキャラクターが、世界的な支持を得ている女性だ。そんな彼女に対して、「時代考証的には美人」というジャッジを下し、笑われるという役回りにするというのも失礼だろう。
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城田優が「中途半端な外人顔」といじられる
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