その点において、10月7日午後の官房長官記者会見における
東京新聞の村上一樹記者の問い方は適切だった。筆者によるチャーハンのたとえは、この村上記者の質問に対する加藤官房長官の答弁の論理的なおかしさを指摘したものだ。
そのやりとりはこういうものだった。
*********
●村上記者 東京新聞の村上です。日本学術会議の推薦についてお伺いいたします。今日の衆院内閣委員会で、1983年の国会答弁と2018年の文書とで、考えかたを変えたということではないとの答弁がありました。2018年の文書では「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」としています。しかし、83年11月の参院文教委員会の丹羽国務大臣の答弁では、「学会の方からの推薦をしていただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」と明確に述べています。これ、この場でも何度も訊いていますが、改めてお伺いいたします。
考えかたを変えていないのであるならば、いまも推薦者は拒否をしないということになりますが、どうしてそうなっていないんでしょうか。
●加藤官房長官 あの、そこはすでにお配りをした文書でもありますが、憲法第15条第1項の規定に明らかにされているとおり、公務員の選定任命権が国民固有の権利であるという考えかたからすれば、任命権者たる内閣総理大臣が推薦のとおりに任命しなければならないというわけではないという考えかたを確認をしたわけでありまして、昭和58年の国会答弁も当然、現憲法下、のもとでなされたわけでありますから、このような前提でなされたものであると認識をしております。
●村上記者 東京新聞の村上です。そうしますと、これも午前の会見とまた同じくり返しになってしまうかもしれませんが、昭和58年、1983年の国会での答弁も現憲法下でなされているということになりますと、
83年の段階で「推薦をしていただいた者は拒否はしない。形だけの任命をしていく」、この答弁というのはそもそも妥当だったんでしょうか。
●加藤官房長官 そうした答弁ももちろん踏まえて整理をさせていただいているわけでありますし、あくまでも先ほど申しあげた確認文書の中身に沿って、これまでも対応してきたということであります。
*********
この村上記者の質問と加藤官房長官の答弁を聞けば、政府側の説明が説明になっていないことがよくわかる。エビチャーハン(83年の国会答弁)と玉子チャーハン(解釈を明確化したとされる2018年の文書)は、同じシェフ(任命権者たる内閣総理大臣)が作っている(ので、解釈を変更したものではない)といっても、やはり違うものなのだ。
このとき、村上記者は主観的な問題意識を示して問いかけているわけではない。政府側の説明では整合しない部分について、整理して論理的に問いかけているのだ。その問い方が明晰であったからこそ、加藤官房長官の答弁が、説明のつかないことを無理やり説明しようとしているものであることが明らかとなったのだ。
「国民に分かりづらい」というような問い方ではなく、こういう問い方が記者には必要ではないのか。
◆【短期集中連載】政治と報道3
<文/上西充子>