夢で逢えたら(2001)
人の顔を映さず、声と気配だけで物語る劇映画『眠り姫』(07)や「音から作る映画」プロジェクト(14~)など、実験的な作風の映画を劇場公開し続けている異色の映画監督・七里圭さん。
そんな七里監督のデビュー作であり、幻想的な作風で禁断の愛に苦悩する姉弟を描いた山本直樹原作の『のんきな姉さん』(04)、セリフのない劇映画『ホッテントットエプロン-スケッチ』(07)など初期作品を中心に、今年ベルリンのミニシアターで上映され好評を博した『眠り姫』、最新短編『Necktie』(19)などを含む特集上映 が、下高井戸シネマにて10月24日から30日まで1週間行われます。
本日は、七里監督に、特集上映へ寄せる思いとともに、現在の映画館の存在意義やフィルムでの上映についてお話を聞きました。
――今、なぜ特集上映をするのでしょうか?
七里:コロナ禍の今、映画館の存在意義が問われています。今年春の緊急事態宣言やそれに伴う営業自粛の開始以降、ミニシアターが窮地に立たされたことはご存知のとおりです。動画配信がメジャーなものとなり、映画はパソコンやスマートフォンで検索して見るものになりつつあります。
七里圭監督
そんな中で「映画館はもう要らないのではないか」という声も聞こえて来そうですが、それは違うと。そんな状況で、特集上映のお話をいただき「是非とも」とお願いしました。
――デビュー作『のんきな姉さん』と同作のスピンアウト作品である『夢で逢えたら』は、フィルム上映をするのですね。
七里:『のんきな姉さん』『夢で逢えたら』が製作されたのは、ちょうど20年前。現在のようにデジタルカメラで映画を撮影し、デジタル上映されることが主流になる前の時代の作品で、フィルムで撮影されました。
今、映画と言えばデジタルシネマがほとんどで、昔の作品もデジタル化して、DCP(デジタルシネマパッケージ・フィルムに替わるデジタルデータによる映画の上映方式)で上映されることが多く、フィルムで上映される機会はとても少なくなってきました。
下高井戸シネマも、DCPでの上映がスタンダードになっている映画館ですが、映写機を廃棄せずにとても良い状態で残していました。そして、「久しぶりにフィルムの上映をしたい」という映画館からのリクエストもありまして、フィルムの作品(『のんきな姉さん』と『夢で逢えたら』)はフィルムで上映しようということになったのです。
特に、デビュー作の『のんきな姉さん』は、たむらまさきさん(2018年没)という伝説のカメラマンが撮影された作品です。たむらさんは、三里塚闘争を撮った小川プロの作品でカメラマンとしてのキャリアを開始し、青山真治監督とコンビの各作品や、諏訪敦彦監督(『2/DUO』)や河瀨直美監督(『萌の朱雀』)のデビュー作などで、世界的に知られる名匠です。彼の繊細な撮影技術と温もりを感じる映像美を、ぜひフィルムの上映で味わってほしいと思います。
――フィルムでの上映とデジタル上映との差はどのようなものなのでしょうか。
七里:言葉で説明するのは少し難しいのですが、同じ作品をフィルムとデジタル版で見比べることができたら、誰にでもわかると思います。以前、あるワーク・ショップのゲストで、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(83)を、デジタルリマスター版と元のフィルム上映で見比べる機会がありました。
上映されたフィルムは、傷が入って少し退色もしている古いもので、一方、デジタル版はそれを見事に修復し、鮮やかで美しい色に仕上げていました。でもなぜか、傷だらけのフィルムで観た方が、あの有名なデヴィット・ボウイと坂本龍一のキスシーンも、はるかに感動的だったんです。
不思議なことですが、フィルムで上映される方が、存在感があるんですね。それは、フィルムの映写機とデジタルプロジェクターとの、構造的な違いの影響かもしれません。映写機は、フィルムに光を当てて、その影をスクリーンに投影するのですが、プロジェクターは、デジタルデータの信号通りに光を放つ、言わば、高性能の照明のようなものです。つまり、見えている映像が、光なのか影なのかという、微妙な意味の違いを人間の目が感じているのかもしれません。
――音楽に例えるとCDとレコードの音の差のようなものなのでしょうか。
七里:そうですね。音楽も、デジタルで記録されたCDや配信の音と、レコード盤のアナログの音は違うと言われてますよね。もっとマニアックに言えば、音の振動をアンプで電流の強弱に変換してから再生するレコードの音と、振動を直接再現して音を聞かせる蓄音機の音も、かなり違います。CDと蓄音機を比べると、ワープロと直筆ぐらいの違いがあるかもしれませんね。
――2007年の公開以来、毎年アンコール上映がされている『眠り姫』の上映もあります。14年間も上映が続いていて、何度も見に来る人がいるそうですが、なぜだと思われますか。
七里:どうしてなんでしょうね。理由があれば、私が知りたいくらいですが、一つ考えられるのは、この作品が、登場人物の顔を全く映さないということと関係あるかもしれません。映像はあるのに、ラジオドラマを聞く時のように、その場面を想像しながら見ることになるので、お客さん一人一人にとって、それぞれの『眠り姫』が生まれているのかもしれない。だから、この作品を特別に思ってくれるファンも生んでいるのかなと、想像しています。もちろん、西島秀俊さんをはじめ、声の出演者たちの魅力と力量があってのことですが。
――冒頭の夜明けのシーンが本当に美しいですね。撮影には苦労したと聞きました。
七里:あれはCGではなく、自然の空の景色ですから。撮影には2年かかりました。二度目の冬の撮影をしていた2004年の暮れから2005年の2月ぐらいまではまともに寝た記憶がありません。あの頃は朝三時くらいに必ず起きて、空を見ていましたね。
眠り姫
そのうち、夜空の色で朝焼けがどれぐらいの色になるかも見当がつくようになっていました。でも、狙っていた通りの朝焼けになった日の前の晩、うっかり飲み過ぎて現場に着くのが遅れてしまい、明けはじめから撮れなかったこともありましたね(笑)
夜明けは毎朝一度しかないので、カットを積み重ねるには、何日もかけて撮影しないといけませんでした。しかし、同じ表情の空は一度たりとてありません。例えば、車の車窓から夜明けを見るシーンでは、煙突から煙がたなびいているので、風向きも関係しました。空の表情は似ていても、風向きが違うので撮れずにやり直しするということの繰り返しで、大変でしたね。