――しかし、手足3本を失う事故はやはり衝撃的な出来事だと思います。そこから気持ちを切り替えられたきっかけはなんだったのでしょうか?
直接のきっかけは、高校時代から仲良しだった友人たちが1番最初にお見舞いに来てくれたことが大きかったと思います。
彼らは病室で寝ている僕を見るや「なんだ元気そうじゃん」と言いました。こっちからしたら「どこがだよ!」と思ったけど、結局彼は2〜3時間もいて、今までと変わらずたわいもない話をしました。
そして、「じゃあな」といって彼らをエレベーターホールで送り出した時、そういえばケガの話を聞かれていないことに気づいたんです。まるで、「
ケガをしても俺たちの関係は何も変わらないぞ!」という、無言のメッセージをもらっているかのようでした。
すると、エレベーターのドアが閉まった瞬間から、涙があふれて止まりませんでした。「病院ではなく、今までのように彼らとまた遊びたい!このままじゃダメなんだ」と強く思いました。
その日は一晩中眠れませんでした。そして朝を迎えたとき、カーテンから光が差し込み、ベッドに備え付けられたテーブルの角が光ったのを目にして、ハッとしたんです。
「自分は今まで、テーブルの下だけを見てもがいていた。でも、見方を変えるとこれまで見えなかったものが見えるようになるんだ」と。
そこから気持ちがキッパリと切り替わり、「手足がなくなっただけだな」と思えるようになったのを覚えています。そこから、社会復帰するまでのロードマップを具体的に描き始めました。
――実際に、どのように進めていったのでしょうか?
事故に遭ったときは20歳になったばかりで、22歳には必ず社会復帰したかったので、やるべきことと、それに必要な期間を逆算しました。リハビリをいつまでに終わらせ、資格をいつまでに取得するか……といったことです。
そして10月にリハビリ施設のある病院に転院し、リハビリが1年かかると言われたところを半年で終わらせました。そしてその日のうちに自動車の教習所に入所し、出所後に間髪入れず障害者職業訓練所に入りました。
そこで簿記とパソコン検定の資格を取得し、翌年には就職活動を開始していました。
――事故から2年も経っていませんね。すごく強いですね。
僕はもともと、
なくなったモノを数えるのがあまり好きではないんです。
人はマイナスの数を数えがちだと思います。しかし、
マイナスを数えるのではなく、どんなに小さくてもプラスの数を数えていくことが大切なんじゃないかと思います。
手と足を失ったことは確かに圧倒的なマイナスですが、命が助かったこと、生きていることが僕にとってはそれをはるかに凌ぐプラスでした。そして、まだ左手が残っていたし、喋ることも、見ることも、聴くこともできた。
自分にはまだまだ出来ることがたくさんあって、終わりじゃない。そういう自分の可能性に気づけたこと自体、最大のチャンスだと捉えています。
――心理学には「トラウマ後成長(Posttraumatic Growth)」という概念がありますが、事故後に成長を感じたり、強くなったと感じる部分はありますか。
周りへの感謝を自分の言動で表せるようになったのは、成長したかなぁと感じます。親に対しては、やはり今までたくさん苦労をかけてきた上に、五体満足に産んでくれたにもかかわらず手足を3本も失ってしまって……とやりきれない思いがありました。
だからこそ、ここから強く成長して自分らしく生きることで恩返ししていかなきゃなと、強く思うようになりましたね。
あとは、やはりドン底を経験したことで、ちょっとした出来事では落ち込みにくいですし、そういった気持ちの面は強くなったのかなと思います! 「手足3本ないだけじゃん」と、本気で思っているんです。
――お弁当や料理など、日常生活の動画もアップされています。日常生活で不便なことは現在、ありますか?
日常生活の家事は一通りできるし、不便は特にありません。
物理的に難しいこと(電球の交換など高いところの作業)は当然できませんが、一人暮らしをして大抵のことは一人でできるようになったから不便に感じないのだと思います。そりゃ当然、どの家事(掃除、洗濯、料理)でも人より時間がかかるけれど、それは仕方のないことだって上手く割り切れているんだと思います。
もともと健常者だったころに家事をやっていたとしたら、できたことができなくなってショックかもしれませんが、もともとやっていなかったことが逆に向上心が芽生えてよかったのかなと思います。