狂おしくも切ない恋愛を描く 同性愛への偏見を描くところから一歩前へ『窮鼠はチーズの夢を見る』行定勲監督
『窮鼠はチーズの夢を見る』が、9月11日よりTOHOシネマズ日比谷他全国の劇場で公開されています。
学生時代から「自分を好きになってくれる女性」と受け身の恋愛ばかりを繰り返してきた、大伴恭一(大倉忠義)。ある日、大学の後輩・今ヶ瀬渉(成田凌)と7年ぶりに再会。「昔からずっと好きだった」と突然想いを告げられる。
戸惑いを隠せない恭一だったが、今ヶ瀬のペースに乗せられ、ふたりは一緒に暮らすことに。ただひたすらにまっすぐな今ヶ瀬に、恭一も少しずつ心を開いていき……。しかし、恭一の昔の恋人・夏生(さとうほなみ)が現れ、ふたりの関係が変わり始めていく。
原作は人を好きになることの喜びや痛みを描き、多くの女性から支持を受けた水城せとな作『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』(小学館「フラワーコミックスα」刊)。今回は話題の原作を普遍的な恋愛映画として映像化した監督・行定勲さんに、制作の背景や過程、作品に込めた思いなどについてお話を聞きました。
――「原作は恋をする個人の想いにフォ-カスが当てられていたことに考えさせられた」とのことでしたが、彼らが抱く恋愛の禍中にある者の「個人の想い」がより映画で浮き彫りにされていたように感じました。どのようなことに力点を置いて演出されたのでしょうか。
行定:原作を読んだ時に思ったのは、この漫画は彼らの関係を俯瞰で描いていないということでした。彼らの状況を説明的に描くのではなく、入り込んで描いているところが良かったんですね。引きの絵ではなく、感情のつながりで彼らの関係を説明しています。
特徴のある外見ではなく「心底惚れるってさ 全てに於いて その人だけが例外になってしまうってことなんだ」など、愛についての提言とも取れるような名言をお互いに洪水のように浴びせています。ビジュアルではなく言葉に力点を置いて主人公のキャラクターを作っているところが映画化できると思ったポイントです。
ただ、映像化する時には、原作にある名言の多くは封印しました。そのままキャストに言わせることはせずに、その名言の真意、心理描写をト書きにして演出して、気持ちを炙りだした方が観客には彼らの心情が伝わるのではないかと。
観客の方が登場人物たちの心情を理解していて、登場人物たちは、自分たちがどこへ向かうのかをわからないながらも、苦しんだり、お互いに嫉妬したり、些細な行動を根に持ったりする。そして、その様子を観客が映像から汲み取ろうとする。そんな構造を目指しました。
――従来の同性愛者をテーマにした作品では「社会」を意識したものが多かったように感じます。例えば最近話題になったテレビ東京のドラマ『きのう何食べた?』は主人公の一人が職場や両親に対してゲイであることを隠す姿などが描かれていますが、この作品には全くそういう要素がありません。純粋な恋愛映画である点が印象的でした。
行定:これまで同性愛をテーマにした作品は、LGBTQの人たちが社会的な偏見に苦しむ姿を描くものが多かったように感じます。その現状を世の中に訴えることで、偏見をなくして誰もが生きやすい社会にしたいと思ってきたんですね。LGBTQをテーマにした作品を表彰するベルリン国際映画祭のテディ賞も、そうした趣旨の下に1987年に創設されています。
でも、それは30年以上も前のこと。そこから時代は進んで、彼ら彼女らのこともかなり知られるようになりました。なので、この映画は「偏見を描く」ところからもう一歩前へ進みたかったんです。
――「未来の映画」ではなく「今日の映画」を作りたかったとのことでしたね。
行定:ある政治家が「LGBTの人達は生産性がない」などと発言したことが話題になりましたが、未だにある種彼らを差別的な目で見ている人たちもいます。この映画はそういう人たちの存在も意識しないわけではいけど、同じ土壌に立って作ってません。
そうした外野の声とは関係なく、人は純粋に愛し合うものなんだと。僕は撮影現場を見て、「男っていいものだな」と感じました。そうした感覚は大切だと思っていますね。
――料理や食事、掃除をするシーンが頻繁に登場します。屋上でじゃれ合う様子も含めて「普通のカップルの普通の生活」という印象を持ちましたが、日常シーンを描くにあたって心掛けたことはあったのでしょうか。
行定:日常のシーンはかなり重要視しました。僕はストーリーの起伏にそれほど興味がありません。状況が作られれば機微が生まれて、そこにカメラを持ち込めば映画が生まれる。それが僕の信条なんです。特別なストーリーは好みません。
特別なストーリーよりも豊かな映画表現が大切なんです。この映画だと、無防備に振るまったり、つい手持ち無沙汰にやったことが相手を喜ばせることがある。日常生活にはそういうことはたくさんありますよね。その関係を描くことで主人公たちの関係の豊かさを表現しました。
――役作りにあたって恭一演じる大倉忠義さん、今ヶ瀬演じる成田凌さんと監督とは話し合いをされたのでしょうか。
行定:大倉(忠義)とは男性とのキスシーンやベッドシーンなど、普段しないことを経験した時に感じたことを、どのようにして演技に反映させたら良いか、どのようにして見せたら良いかについて一緒に探って行こうという話はしました。
成田(凌)の演じる今ヶ瀬は元々同性愛者で、ずっと恭一が好きだったという役柄ですが、成田はかなり熱心に同性愛者らしく見える演技を追求していましたね。
身近にいるゲイの友人とは普段からよく話していたようですが、彼らの仕草なども演技の参考にしていました。
彼らは彼ら独自の潤いや優しい雰囲気を共有しているんです。「彼らの潤んだキラキラした目はどこからくるんだろうね」という話をよくしていました。
撮影中、成田の目をよく見ていましたが恋愛する心情が宿って、やはりそういう目になっていきましたね。
――今ヶ瀬を演じる成田さんも、恭一を演じる大倉さんも「自意識みたいなものを介在させずに」役に挑んだとのことでしたね。
行定:演技についての説明はほとんどしませんでした。本人たちがわかっていましたね。感情を細かく監督側で予定しない方が、リアルさが生まれると思って敢えてそうした部分もあります。
例えば、原作にないシーンについて、「なぜその場所に行くのか?」「なぜ泣くのか?」と脚本家の堀泉(杏)さんに聞いたことがあったのですが「大倉君ならわかると思いますよ」という答えが返って来ました。
映画にはたくさん伝えたいことがあるので、ついセリフでそれを言わせてしまいがちですよね。「好きだ」と言わなくていいのに「好きだ」と言わせたり。でも、その「好き」という気持ちは、役者がその気持ちになって、それを観客が感じればいい。脚本家や監督は、役者がその気持ちになる設定を用意することが大事なんです。
恭一が泣くシーンがあるのですが、その撮影の前に、恭一を演じる大倉に「この場面の心情、わかる?」と聞くと「僕なりにはわかっています」という答えが返ってきました。
実際の撮影で、彼は僕が想像していたのとは違う泣き方をしましたが、編集してみたらしっくりはまってくる。役者が演技をする時に「何で泣くのか?」という問いはないんです。「何故か泣けてきてしまう」気持ちがある。彼らはその撮影に入る前に自分でシーンを成立させて現場に来ます。だからリアルになるんです。
男性同士の恋愛をリアルに、そして純粋に描いた映画「偏見」の先を目指して
本当の「リアル」を生むために
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この連載の前回記事
2020.08.24
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